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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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明智光秀ゆかりの地・可児市をめぐる(3)明智城跡 二の丸~七ッ塚

薄暗い木々の茂る中、上り坂をひたすら歩いて行きます。

IMG_1432 明智城

普通、城内の道といえば、くねくねと曲がりくねったところが多いですが、この道は直線的な道が続いています。

しばらくすると、化石発見地の碑がΣ(・ω・ノ)ノ!

IMG_1413 化石発見地

大手道を登りきると、二の丸跡が見えてきます。

二の丸跡
IMG_1414 二の丸跡

「明智光秀公生誕の地」の幟
IMG_1415 明智城

七ッ塚
IMG_1430 七ッ塚

弘治2年の落城で戦死した明智軍の七武将を祀った塚です。

IMG_1431 七ッ塚

ここまで誰にも出会っていません(;´∀`)

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明智光秀ゆかりの地・可児市をめぐる(2)明智城跡 大手門

名鉄広見線明智駅から早歩きで約20分で明智城大手口に到着。

IMG_1407 明智城

土岐明智氏の出自の地であり、明智光秀を生んだ地との伝承を持つ明智城は、別名長山城または明智長山城とも呼ばれています。

この辺りには、石清水八幡宮(京都府八幡市)の荘園・明智荘が置かれ、『美濃国諸旧記』によると、康永元年(1342)3月、美濃国可児郡明智庄長山に、美濃守護・土岐頼康の弟・土岐明智次郎長山下野守頼兼(しもつけのかみよりかね)がこの地に城を築き、弘治2年(1556)に光秀の叔父光安・光久が城主の時、稲葉山城主・斎藤義龍の攻撃を受けて落城したとしています。

光秀の代まで居城したとあり、光秀出生の地とされていますが、明智城は、恵那市明智町城山にもあり、どちらが明智光秀出生の城なのか、それを裏付ける資料は今のところないそうです。

明智城址公園散策路マップ
IMG_1412 明智城

ここから桔梗坂と呼ばれる上り坂を上がっていきます。

IMG_1408 明智城

IMG_1409 明智城

 可児市は、戦国時代の悲運の武将「明智光秀」の生誕の地である。康永元年(1345年)に美濃源氏、土岐市下野守頼兼が名字を「明智」と改めて初代明智家棟梁となり、明智荘瀬田の当地に明智城を築城した。
 以来、およそ215年間、ここに山城を構えていたが、弘治2年(1565年)に当時の美濃国の支配者、斉藤道三とその子義龍の争いに巻き込まれ、義龍に追い込まれて落城。最後の城主であった光秀は、城の脱出に成功して明智家を再興したが、ここへは戻らず、彼の死後も、再びここに築城されることなく明治維新を迎えた。
 城は自然の地形をうまく利用した典型的な中世の山城で、この山の中央主峰、標高175米の頂上に本丸を築き、ここを中心として、いくつかの別の峰に小城塞、見張り台、城郭施設等を配置させてあったと考えられる。
 居館跡には「光秀産湯の井戸」と伝承されている井戸があり、当時使用されていた土器破片が出土している。また、出丸付近には落城の際の戦没者を葬った「七ッ塚」がある。 
 昭和48年には一族の供養等「六親眷属幽魂塔」が発見されている。
   可児市

IMG_1410 明智城

大手門に到着。

大手門
IMG_1411 明智城

誰もいなそうな予感(;・∀・)

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明智光秀ゆかりの地・可児市をめぐる(1)若宮神社~東栄寺

いよいよ19日から「麒麟がくる」がスタートしますね!
今日は「麒麟がくる」の主人公「明智光秀ゆかりの地」の紹介をします。

名鉄の明智駅から徒歩でスタートし、明智城跡を目指します。

IMG_1401 名鉄明智

途中、いつくかの寺社がありました。

若宮神社
IMG_1406 若宮神社

太元神社の摂社で、仁徳天皇を祀る神社です。

IMG_1405 若宮神社

仁徳天皇は太元神社の御祭神である。仁徳天皇は、応神天皇の第四皇子で、御名を大鷦鷯尊(おほさざきのすめらみこと)と申し上げ、人皇代16代の天皇です。人民の困窮するを見て租税を三年間免除したと伝えられています。そのようにひたすら人民を愛し、人民の生活の向上を計られたお情け深い聖天子として慕われているお方です。創立は太元神社に合祀したのと略同じ頃で平安時代の後期を思われます。
 平成13年2月吉日 笠井美保


東栄寺 
IMG_1403 東栄寺

瀬田最古のお寺でかつては明智一族の菩提寺であったそうです。

IMG_1404 東栄寺

IMG_1402 東栄寺

東栄寺 山号 太元山
 東栄寺は瀬田最古のお寺であり、かつては東栄寺洞(現在の白鷺団地周辺)にあって明智一族の菩提寺であった。創建は明智初代城主土岐(明智)頼兼が出家し、「善柱」と称し建立されたと伝えられています。太元山という山号からも、この神社は、太元神社の棟札にも記されており、太元神社の神護寺であったとも伝えられています。
 このお寺は三重塔、山門を配した一大伽藍を誇った由緒ある寺院でした。東栄寺は天台宗の密教のお寺で、江戸時代に確立した檀家制度に組しない密教寺として存続し、本尊は大日如来のお使いといわれる「不動明王」であり、地域住民を集めた「胡麻供養」を通し願いが叶うご祈祷がさかんに行われました。その後昭和になり、明智一族の菩提寺を近くの天龍寺に譲り現在に至っております。
 なお、この看板は、広見東まちづくり協議会の歴史、文化、交流部会が作成した「広見東部散策マップ」の拠点案内として設置しました。
 平成22年3月 広見東まちづくり協議会

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