大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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渡辺崋山終焉の場所・池ノ原

愛知県田原市の渡辺崋山終焉の地を訪ねました。

渡辺崋山が無実の罪によって、その生涯の最後の数年間を過ごし、自ら果てた場所で、現在は、池ノ原公園となっています。

IMG_8716 池ノ原

IMG_8718 池ノ原

公園内には、崋山に関する碑や、幽居跡(復元)と渡辺崋山の銅像があります。

IMG_8717 生誕

IMG_8719 立志

IMG_8720 報民倉

IMG_8722 池ノ原

IMG_8726 池ノ原

IMG_8727 池ノ原

IMG_8725 崋山

二本の石碑の右が東郷平八郎による顕彰碑、左が崋山が自刃前に残した「不忠不孝渡邉登」の筆が刻まれています。

IMG_8723 崋山

池ノ原公園(いけのはらこうえん)は、愛知県田原市田原町池ノ原にある史蹟。江戸時代後期の画家・蘭学者で田原藩家老であった渡辺崋山が晩年、罪人として自殺までの数年間を送った住居が復元されている。
現在見られる住居は復元であるが、1830年代に建てられたものをほぼ再現している。
はじめにここに住んだのは崋山の招聘によって天保5年(1834年)に田原藩のお抱えになった豊後・日田出身の農学者・大蔵永常であった。彼はこの建物の周辺を実験用の農場とし、商品作物を田原藩の新しい収入源にしようと考え、アブラナ・サトウキビなどを栽培した。こうしたことから当時の人に「御産物屋敷」とあだ名された。ただし、成果はあまりあがらなかったようである。


そうしたうちに天保10年(1839年)、江戸で蛮社の獄によって渡辺崋山が捕らえられ、国元の田原で蟄居と決まった。彼を招聘し、また家老として力を持っていた崋山が失脚したことで、大蔵永常は田原での身分を失い、池ノ原の住居を去った。罪人として田原に来た渡辺崋山の一家がそのまま空いた住居に住むこととなった。
蟄居中の崋山は絵を描くなどしていたが、2年後の天保12年(1841年)に住居北側の小屋(大蔵永常がサトウキビの醸造に利用していた)で切腹した。遺体は幕府役人による検死の後、城下の城宝寺に葬られた。
その後しばらく崋山の存在は世間から忘れ去られていたが、1880年代に高野長英などとともに維新の先覚者として大きく取り上げられ、また崋山は修身の教材に取り上げられたこともあり、日本人なら誰でも知っている人物となった。この影響か、住居の東側には崋山を顕彰する東郷平八郎揮毫の碑がある(1909年に建置)。

この住居はいつのころか取り壊されたらしく、建物はなくなっていたが、昭和30年(1955年)5月に地元の有志の共同出資によって復元された。復元に当たっては、数十年前の取り壊し作業に当たった大工の記憶を参考にしている。建築も有志が行ったもので、十分豊かではない時代に、有志によってこのような事業が行われたことは、地元田原の人々が崋山に強い愛情を寄せていることをよく示している。また、同時に公園内に渡辺崋山の坐像が設置されている。また平成4年(1992年)6月、当時の田原町によって史跡に指定されている。
現在はこんもりとした林の中に、こぢんまりとしたスペースで崋山の旧宅と銅像、東郷平八郎の顕彰碑がある。周辺は江戸時代には武家屋敷が多く、当時の屋敷は残っていないが細く曲りくねった道と囲いの椿に風情を残している。また、つい最近この一帯が整備され、池ノ原公園の南側に池ノ原会館が建設された。ここではゆったりとした和室で抹茶を飲むことができる。
(Wikipediaより)

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福満寺薬師堂(2)川名ひよんどり

福満寺 薬師堂は、400年以上続いている国の重要無形民族文化財、『川名のひよんどり』でも知られています。
松明を手に舞踊る室町時代から伝わる田楽能で、五穀豊穣や子孫繁栄を祈って奉納されます。

川名ひよんどりは、毎年1月4日開催されます。

川名ひよんどり
(写真提供:静岡県観光協会 )

うわ~前の人たち熱そう~~!!

迫力ある火祭りですね~(゚Д゚)

IMG_2107 ひよんどり

IMG_2109 ひよんどり

国指定重要無形民俗文化財
川名のひよんどり
平成六年十二月十三日指定 公演日 一月四日

川名のひよんどり例祭は、福満寺薬師堂で行われる。
遠江から三河にかけて現存する田遊びの一種で、五穀豊穣、
子孫繁栄、家内安全を祈願して行われ、これに火祭りが結びついている。
福満寺は伝承によれば、別当十二坊を数えた大寺、本尊の薬師如来は、
奈良時代の高僧行基の作といわれた。
この像は、山吉田の満光寺と春山の薬師堂のものと同木であると伝えられる。
しかし、応永年間の火災によって焼失し、現在の本尊は応永三十三年(一四二六)
に新たに刻まれたものである。
ひよんどり祭礼もその頃には既に行われていたものと考えられる。
前半の松明を用いた祭礼は若連の手に委ねられており。
後半の堂内における祭礼のうち、芸能の部分も主に若連がこれを担う。

一、イナムラの舞は、体に連縄をつけ、その姿は藁で作った
  イナムラが増大する様を演じてみせ、豊作を願う勇壮な舞である。
二、はらみの舞は、腹に布団などをいれて女郎面をつけて舞う。
  この舞が始まると小爾宜の人達は、オブッコ作りのために席を外す。
三、田遊びが終わる頃、出来たオブッコを背負い薬師堂に参詣に来る。
  その後、汁かけご飯を参列者で共食し祭礼を終了する。

特に、寒風吹きさぶ寒夜に川名川で身を清める水垢離と、
堂前での夜空を焦がす大松明と若連のもみあいは実に豪壮である。
このもみ合いの印象から「火踊り祭り」がなまって「ひよんどり」
と予備ならわしている。
                         浜松市教育委員会



川名ひよんどりの動画が、こちらで見られます。 https://www.youtube.com/watch?v=ek_hIdvvYJM

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福満寺薬師堂(1)

第7回「検地がやってきた」では、川名の隠れ里が出てきましたね。
今日は、昨年訪ねた川名を紹介します。

浜松市北区引佐町川名にある福満寺薬師堂の最初の建立は奈良時代末期から平安時代初頭とされています。

ご本尊の薬師如来像は、奈良時代の高僧、行基の作といわれていますが焼失しており、現在のご本尊は、応永33年(1426)に井伊家の一門、井伊直貞が願主になり、新しく像を刻んで祀り替えたと伝えられています。

戦国時代には、井伊直虎が梵鐘を寄進したといわれてますが、現在は消失しています。

福満寺薬師堂は、伊豆神社の境内にあります。

IMG_2104 伊豆神社

伊豆神社
IMG_2106 薬師堂

薬師堂(八日堂)
IMG_2108 八日堂

お堂も何度も焼かれ、現在の薬師堂は、江戸時代の1856年に建てられたものですが、傷みが激しかったため、2009年に修繕工事が行われました。

IMG_2105 薬師堂

福満寺薬師堂

 福満寺は、現在薬師堂だけが残されていますが、かつては12の塔頭をかかえる大寺院だったと伝わります。
応永のころ焼失し、渋川井伊氏の直貞が応年33年(1426)に再建されました。
 近隣の東福寺も現在は小さなお堂が残るのみですが、元は坊の一つだったと考えられます。
 当地域周辺には多くの伝統芸能があり、当堂においても毎年一月四日には、国指定重要無形民俗文化財「川名のひよんどり」がとりおこなわれます。
 なお、かつては八日堂と呼ばれたように、一月八日に行われた祭礼です。

三日堂 寺野 宝蔵寺 観音堂
四日堂 渋川 万福寺 薬師堂
五日堂 懐山 新福寺 阿弥陀堂
五日堂 神沢 万福寺 阿弥陀堂
六日堂 黒沢 峯福寺 阿弥陀堂
七日堂 滝沢 安楽寺 大日堂
八日堂 川名 福満寺 薬師堂

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