大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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井伊直親ゆかりの池辺神社の八幡宮

掛川の十九首塚から池辺神社へ。

IMG_5104 八幡宮

この池辺神社の北には二つ池と呼ばれる池があり、現在でも池面に突き出した半島部に八幡宮を祀る社が鎮座しています。

IMG_5105 八幡宮

IMG_5106 八幡宮

IMG_5108 八幡宮由来

八幡宮由来

十九首宇佐八幡宮と称し元は掛川市十九首の地にあった。
井伊谷の領主井伊直親(幼名亀之丞)が今川家に謀反を疑われ、永禄5年(1563年)その釈明に駿府に向かう途中掛川領主朝比奈泰朝に主従19人が謀殺された。よってこの地に祀り八幡宮を建てたと大池のほとりにあった旧家(現掛川大池こども園)ねんや(禰宜家)鈴木家文書に記されている。
井伊家は彦根本家とは別に直親の曾孫直好から4代にわたって掛川領主を務めている。
元禄4年(1692年)直好が城主の時上屋敷の大池に遷座され現在に至っている。
慶応4年東征大総督有栖川宮熾仁親王は官軍を率いて江戸に向かう途中掛川に宿泊大池の八幡宮を参拝された。
目と鼻の先に池辺神社が祀られており池に面して二つの神社があることは歴史的な背景を物語るものと思われる。

IMG_5107 八幡宮

IMG_5109 八幡宮

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井伊直親が討たれた掛川の十九首塚

桶狭間の戦いで、敗北した今川家の勢力が弱体化すると、今まで今川家に臣従してきた松平元康(徳川家康)が独立。織田家と同盟を結び、今川家との対決姿勢を見せ、今川家に反旗を翻す在地領主も出てきました。

1562年(永禄5)井伊家の当主となった井伊直親は、遠江を手中にしょうとしていた三河の元康から、今川を見限り徳川に付くよう誘いを受けたとされています。

直親が家康と通じているという嫌疑を、小野但馬守今川氏真に伝えたことから、氏真は激怒。
直親を駿府館に呼び出し、真意を聞くことになりました。

直親は、申し開きのため、19人の従者を連れて、駿府館に向かいますが、その途中の掛川の十九首で、今川氏真の命を受けた重臣で掛川城主・朝比奈泰朝に殺害されてしまいました。

直親の殺害場所とされる十九首は、その地名の由来でもあり日本の各地に伝わる平将門の首塚伝承がある場所です。

平安時代の中頃、関東を拠点に、京都の朝廷に対し反乱を起こした将門は、天慶3年(940)2月14日、下総国猿島(茨城県坂東市)において、平貞盛・藤原秀郷らの軍勢との合戦で敗死。その首は秀郷らによって京に運ばれ、晒し首にされましたが、その首は、将門の故郷へと向かって飛び立ち、途中で力尽き落下したのが各地に伝わる首塚です。
将門の首塚としては東京の大手町にある首塚が有名ですが、掛川の十九首の首塚は敵将の秀郷によって埋葬されたとされるものです。


天慶3年2月14日、平将門を滅ぼした秀郷は、将門、家臣19人の首級を持って京に上る途中、京からの検視役と掛川で出会いました。
秀郷は、小川で将門たちの首を洗って橋にかけ、検視を受けました。朝廷の使者は、検視が済むと首を捨てるよう命じましたが、 秀郷は、「将門は、逆臣とはいえ、名門の出である。その屍に鞭打つことはしてはならない。」と言い、 十九人の首を別々に埋葬して、丁寧に供養しました。

東光寺の山門
IMG_5088 東光寺

本堂
IMG_5093 東光寺

IMG_5094 東光寺

東光寺の本堂左側から奥に進むと、墓地があり、向かい側の整備された公園に、十九首塚があります。

IMG_5096 十九首塚

昔は19基あったものが時代と共に減ってゆき、将門のものと思われる大きな1基だけが残されたといわれています。その後、将門の首塚を取り囲むようにして18基の首塚が新しく作り直されました。地元では首塚を町の守り神として、彼岸と命日にあたる8月15日に供養祭が行われています。(掛川市観光情報サイトより)

旧十九首塚
IMG_5097 十九首塚

この十九首塚がある十九首町は、地元の人からは「じゅうくしょ」と呼ばれるそうで、町の名前になっています。現在の東光寺南側の下俣川という小川で首を洗ったといわれ、血洗川と呼ばれました。そして川に架かる橋に首をかけて首実験を行ったことから、「懸川」→「掛川」という地名になったとする説があります。

IMG_5098 十九首塚の由来

十九首塚の由来

ここは「平将門」の首級を祀る十九首塚です。人皇61代朱雀天皇の御代、関東下総の国(茨城県)相馬郡猿島に、桓武天皇の5代の孫で、相馬小太郎将門という武将がおりました。承平5(935)年、一族の内訌を契機として、将門は、常陸を始め関東一円を占拠、自ら新皇と称し律令国家に対抗する国家を企てた。この叛乱に、朝廷から大規模な将門征討が興味され、平貞盛、藤原秀郷らにより、将門は天慶3(940)年2月14日滅ぼされました(天慶の乱)。秀郷は将門をはじめ一門の家臣十九人の首級を持って京に上る途中掛川の宿まで来ました。一方、京からは検視の勅使が派遣されこの地(現在の十九首待ち)の小川(東光寺南血洗川)で首を洗い、橋に架け検視を受けました。首実検の後、秀郷は「将門は逆臣なりとも、名門の出である。その罪重しといえども、今や滅びて亡し。その死屍に鞭打つは礼に非ず。」と十九の首を別々に埋葬し、懇ろに供養しました。時は天慶3年8月15日でありました。この後、歳月の流れと土地開発等の為、移動し現在地に移りました。ここ十九首塚には、葬られた十九人の詳細な名前が残されています。地名の由来も十九の首塚があったところから十九首町と呼ぶようになりました。町民は、首塚を町の守り神として春秋二季の彼岸と8月15日の命日には供養祭を行い、今日まで続いております。 平成14年3月

将門公とともに供養されている武将

相馬小太郎将門、鷲沼庄司光則、武藤五郎貞世、御厨別当多治経明、大葦原四郎将平、鷲沼太郎光武、堀江入道周金、御厨別当文屋好兼、大葦原五郎将為、隅田忠次直文、御厨三郎将頼、藤原玄茂、大葦原六郎将武、隅田九郎将貞、東三郎氏敦、藤原玄明、大須賀平内時茂、長橋七郎保時、坂上遂高

井伊直親についての案内板が新しく設置されているかと思い、久しぶりに訪ねてみたのですが、この幟しかありませんでした。

IMG_5095 十九首塚

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新野左馬助の里を訪ねて(3)新野カカシ祭り

昨年の10月、初めて行った新野カカシ祭り

IMG_0392 カカシ祭り

IMG_0388 新野川

新野川の堤防沿いに、手作りのカカシが立ち並びます。

IMG_0434 カカシ祭り

川沿いの遊歩道には、コスモスやヒガンバナが植栽され、カカシを見ながら散歩ができます。

IMG_0394 カカシ祭り

個性的でユニークなカカシ達が並びます。

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振り込め詐欺撲滅作戦
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御前崎出身の飯塚選手
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くまモン
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今年は直虎イヤーということで、井伊直虎新野左馬助らのカカシが並びました。

井伊直虎
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新野左馬助
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虎松
IMG_0407 カカシ祭り 虎松

直虎、虎松、左馬助
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