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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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西南戦争 涙橋血戦之碑

西南戦争の舞台となった鹿児島の地を訪ねました。

市電「涙橋駅」で下車し、涙橋を目指します。

IMG_9102 涙橋 (2)

IMG_9106 涙橋

ここは西南戦争の激戦地の一つに数えられており、橋のたもとに涙橋血戦之碑があります。

IMG_9103 涙橋血戦之碑

西南戦争で戦死した枕崎出身の90名の薩軍兵士を供養するために建てられました。

IMG_9105 涙橋血戦之碑

IMG_9104 涙橋血戦之碑

涙橋血戦之碑
 旧谷山街道と新川が交わるこの地の下流にかかっている橋は江戸時代、橋の先の処刑場に向かう罪人と家族が、この橋のたもとで最後の別れをしたことから、涙橋と呼ばれるようになった。
この碑は、明治10年(1877年の西南の役で戦死した枕崎出身の90名の薩軍兵士を供養するため、昭和2年(1927年)に建てられた。
 熊本で敗れた薩軍の一部が鹿児島にたどり着いた時、鹿児島は殆ど官軍に占領されていた。
涙橋近くの高地では、枕崎出身の今給黎久清以下213名の兵士が武之橋方面からと脇田方面から迫る官軍に応戦、旧式の兵器や弾薬の不足にもかかわらず奮戦し、戦いは6時間にも及んだという。
結局、平田新左衛門ら90名が戦死、柴原方面に退却したと伝えられている。


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岩倉具視が剃髪した霊源寺

京都市北区西賀茂の船岡山の東麓に岩倉家の菩提寺である霊源寺があります。

IMG_1813 霊源寺

通称「霊源皇寺」。山号は清凉山、臨済宗、本尊は釈迦如来像。

寛永13年(1636年)、後水尾天皇仏頂国師(一絲文守いっしぶんしゅ)を開山とし創建。
当初は霊源庵と呼ばれてました。

IMG_1814 霊源寺

寛文16年(1666年)、上皇より勅額を賜り、現在の山号、寺名になりました。

仏頂国師は岩倉具尭の第3子で、堺の南宗寺の沢庵に師事し、その高風を聞いた後水尾上皇の帰依を受け、当寺や丹波法常寺を開き、晩年は近江の永源寺に移り、再興に尽力しました。

文久2年(1862年)、仏頂国師が岩倉家の出身であったことから、尊王攘夷派から排斥された岩倉具視は、この寺で剃髪しました。

IMG_1816 霊源寺

墓地には岩倉具視の歯牙塚岩倉家の墓があるそうです。

IMG_1815 霊源寺

一般非公開ですが、山門は開かれていて、庭園は自由に拝観できるようです。

IMG_1817 霊源寺

紅葉も綺麗でしたよ。

IMG_1828 霊源寺

阿弥陀像
IMG_1818 霊源寺

お地蔵さん
IMG_1820 霊源寺

寛文11年(1671年)、御所の清涼殿の用材により仏殿を建立されました。

IMG_1819 霊源寺

IMG_1829 霊源寺

IMG_1825 玄関と車返しの桜

IMG_1826 霊源寺

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篠原国幹の墓


篠原国幹は、明治7年(1874年)に桐野利秋・村田新八らとともに鹿児島に私学校を設立し、その監督となり、青年子弟を養成。明治10年(1877年)、弾薬庫襲撃事件と中原尚雄による西郷刺殺計画を聞いた篠原は私学校本校で行われた大評議では出兵に賛成しました。

Kunimoto_Shinohara_201812092213357f9.jpg

西南戦争では、鹿児島軍1番大隊長として熊本城を攻撃、高瀬に戦い、吉次峠の攻防戦で陣頭指揮の最中、赤裏の外套をひるがえして陣頭に立って部隊を指揮していました。その篠原を近衛歩兵第1連隊第2大隊長・江田国通少佐が見つけ、射撃の上手い兵に赤裏の外套を目印として狙撃を命じ、弾を数発受けた篠原はその場に倒れ絶命しました。

IMG_8769 篠原国幹

IMG_8768 篠原国幹

幕末の薩摩藩士,明治期の陸軍少将。篠原善兵衛の子。通称冬一郎。勤王運動に志し,文久2(1862)年,有馬新七らの京都義挙計画に参加して伏見寺田屋の変に遭遇,鹿児島に送還されて謹慎。3年,薩英戦争で砲台守備に出陣,薩摩3番小隊長として鳥羽・伏見の戦に奮闘。さらに江戸上野の彰義隊掃討戦,奥羽白川の戦,会津攻城戦に転戦して軍功があった。明治2(1869)年,鹿児島常備隊大隊長,4年御親兵編成に際して,陸軍大佐,兵部省参謀局出仕に任命された。5年7月近衛局長,まもなく少将。6年の政変で下野した西郷隆盛に従い鹿児島帰郷,私学校を桐野利秋,村田新八らと設立,その総監督として士族の軍事訓練,教育,山野の開墾に従事。沈黙寡言で有名だったが,人望が厚かった。10年,西南戦争では政府尋問を理由として挙兵,鹿児島軍1番大隊長として熊本城を攻撃,失敗。転じて高瀬に戦い,吉次峠の攻防戦で陣頭指揮の最中,敵弾に当たって戦死した。(コトバンクより)

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