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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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日坂宿を行く(10)本陣跡

江戸時代に諸大名が江戸へ往来した時の旅宿にあてた宿駅の旅籠屋を本陣といい、 日坂宿本陣の屋号は「扇屋
代々片岡家が世襲で営んでいました。

IMG_6382 本陣扇屋

IMG_6378 日坂宿

IMG_6383 本陣跡

本陣跡

 江戸時代に諸大名が江戸へ往来した時の旅宿にあてた宿駅の旅籠屋を本陣といいます。
 日坂宿本陣の屋号は「扇屋」代々片岡家が世襲で営んでいました。
 本陣の敷地はおよそ三百五十坪・建坪二百二十坪、門構・玄関付の建物でした。嘉永5年(1852)の日坂宿の大火で全焼、再建後、明治3年(1870)に店を閉じました。
 その後の学制頒布に伴い、明治12年(1879)より跡地を日坂小学校の敷地とし、家屋は校舎として利用されましたが現存しません。

 日坂地域振興の会  日坂宿おこし委員会

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日坂宿を行く(9)藤文

宿場町の風情を残す建築物が続きます。

こちらは藤文という屋号の日坂最後の問屋役を務めた伊藤文七邸です。

IMG_6392 藤文

IMG_6388 藤文

藤文・・・日坂最後の問屋役を務めた伊藤文七邸
 
 商家で屋号は藤文。

 伊藤文七(号は文陰)翁は安政3年(1856)に日坂宿年寄役となり、万延元年(1860)から慶応3年(1867)にかけて日坂宿最後の問屋役を務めました。
 維新後の明治4年(1871)には、日坂宿他二十七ヶ村の副戸長に任ぜられました。
 その間、幕府の長州征討に五十両を献金、明治維新の時は官軍の進発費として二百両を寄付しております。
 明治4年(1871)の郵便制度開始と同時に郵便取扱所を自宅・藤文に開設、取扱役(局長)に任ぜられました。日本最初の郵便局の一つと云われています。
 その孫、伊藤文一郎氏は明治37年(1904)から39年(1906)、大正6年(1917)から8年(1919)、昭和3年(1928)と三期にわたり日坂村村長を務め、当時珍しいガソリン式消防ポンプを村に、世界一周旅行記念として大地球儀を小学校に寄贈するなど村の発展や村民の国際意識啓発に尽力しました。
 明治9年(1876)11月には昭憲皇太后、翌10年(1877)1月には英照皇太后が日坂宿御通過の時、ここで御休憩なされました。
 この建物は藤文部分が江戸末期、かえで屋部分が明治初期に建てられたもので、修復された蔵は当時何棟かあったと云われているうちの一棟です。
 この土地家屋は平成10年(1998)に文七翁の曾孫伊藤奈良子さんの遺志により掛川市に寄贈されました。
 文久二年(1862)の宿内軒並取調書上帳では今の伊藤家は藤文・かえで屋に分かれておりました。

IMG_6389 小夜の中山

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日坂宿を行く(8)萬屋

萬屋はもっぱら庶民の泊まる旅籠でした。

IMG_6403 萬屋
 
間口が4間半(約8.2メートル)であり、幕末としては中規模の旅篭です。1階が「みせ」や「帳場」で、2階が宿泊のための「座敷」というごく普通の店構えです。
 表の蔀戸(しとみど)は当時の一般的な店舗建物の使用であり、昼間は障子戸、夜は板戸の様は、日坂宿では昭和20年代まで数多く見られました。
 日坂宿は嘉永年間に大火災にあい、萬屋の土間下からも当時の焼土がみられ、それを裏付けています。このことと建物内部の柱が差鴨居の多用によって、かなり省略されている点等から考慮して、嘉永から安政にかけて建築された建物と思われます。
当時、1階はすべて板間で、事ある時のみ畳を敷いたと思われます。
 1階に通り土間がないこと、2階正面の出格子が掃き出しで格子戸がなく、建ちの低い手摺のみで開放的であること等が、一味異なった構えの旅籠です。
(掛川市HPより)

IMG_6402 萬屋

萬屋 
江戸時代末期の旅籠。嘉永五年(1852)日坂宿大火で焼失し、その後まもなく再建されました。再建時期についての明確な資料はありませんが、建物内部の構造体や壁に貼られた和紙に書かれていた「安政三年丙辰正月・・・」から考えて安政年間(1854~1859)のしかも早い時期かと思われます。
同じ宿内で、筋向いの「川坂屋」が士分格の宿泊した大旅籠であったのに対して「萬屋」は庶民の利用した旅籠でした。
一階に裏手に抜ける通り土間がないこと、台所が不明であること、二階正面の出格子がニ階床と同じ高さで、腰高の手すりが付き、大変開放的であることなどが、この旅籠の特徴です。
又、一階正面の蔀戸(しとみど)は当時の一般的な店構えの仕様であり、日坂宿では昭和二十年代まで数多く見られました。
尚、文久二年(1862)の宿内軒並取調書上帳(古文書)には「萬屋」について次のように記されています。

間口  四間半
畳   三拾三畳    旅籠屋
板鋪  六畳      嘉 七
奥行  七間半
惣畳数〆三拾九畳
惣坪数〆三拾三坪七分五厘

今回の修理では、主に一、二階の正面を復原することを目的としたため、内部は大きな復原をしませんでしたが、調査結果は図(省略)の様になり、階段位置が反対であったり、二階が四間あったと思われます。文久二年の記載との違いは、この記載が旅籠の営業部分のみを記載しているためです。記録に見られる建坪と解体調査の結果から考えて、食事を供しない宿であったと思われます。

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