FC2ブログ

大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Entries

村山たか女(たか)の生まれた多賀町

近江鉄道多賀大社前駅から多賀大社に向かって、絵馬通りを進んでいくと、村山たかの生家と住居 があります。

多賀大社前駅
IMG_0193 多賀大社

IMG_0194 多賀大社

絵馬通り
IMG_0203 多賀大社

村山たかの出自は諸説ありますが、父は多賀社尊勝院主、母は同社般若院住職の妹で、同社寺侍村山氏の養女となりました。

現在の絵馬通り沿いの食事処「不二家」で生まれ、やまだ精肉店のところで、育てられたといわれています。

不二家

やまだ精肉店には、「村山たか女の住処」と書かれた説明書きがあります。

IMG_0205 村山たか

京都に出て芸妓となり、可寿江と称し、金閣寺住職の隠し妻となり、25歳で一子帯刀をもうけたのち,同寺寺侍多田一郎時員の妻となりますが2年で離縁。

彦根に戻った後、部屋住み時代の井伊直弼の寵愛を受け、後に直弼の側近・長野主膳(義言)と親しくなり、反幕府勢力の動向を探るスパイのような活動をしました。

文久2(1862)年11月、尊攘派によって京都三条大橋に生き晒しになりますが、助けられて尼となり、名を妙寿と改め、京都の金福寺に入りました。

200px-Murayama_Taka.jpg

IMG_0204 村山たか

村山たかは、舟橋聖一の小説『花の生涯』のヒロインとして知られる。別名村山加寿江(かずえ、可寿江とも)
1809年(文化6年)、近江国犬上郡多賀で、多賀大社にあった寺坊尊勝院の娘として生まれ、生後すぐに寺侍村山氏に預けられ、18歳の時に当時の藩主である井伊直亮の侍女となる。
20歳になり京都に上って、祇園で芸妓となり、その際男子をもうけるが、私生児であったために自らが引き取り、生まれ故郷の彦根に戻る。その際彦根城下で部屋住み生活を過ごしていた井伊直弼と出会って情交を結び、またその数年後に直弼を通じて出会った長野主膳とも深い関係になったとされる。やがて直弼が大老となり、江戸に移った後2人は別れたとされるが、安政の大獄の際には京都にいる反幕府勢力の情報を江戸に送るスパイとなり、大獄に大きく加担した。日本の政権に属した女性工作員としては、史上初めて名をとどめる存在である。
1860年(安政7年)の桜田門外の変で直弼が暗殺された後、1862年(文久2年)に尊王攘夷派の武士に捕らえられ三条河原に3日3晩晒されたが、女性ということで殺害を免れた。しかし、息子の多田帯刀は母親のかわりに岡田以蔵らによって斬殺され、首を晒されている。
その後、洛外一乗寺の金福寺で出家し妙寿尼と名乗り、1876年(明治9年)亡くなった。墓は金福寺の本寺である円光寺にあり、金福寺には詣り墓がある。
長らく、たかと井伊直弼の具体的な関係は不明であったが、2011年(平成23年)の末、京都市東山区の井伊美術館で、井伊がたかへと宛てた手紙が発見された。手紙は井伊が20代後半に書かれたものと思われ、藩の反対でたかと会えなくなった際の辛い心情が綴られている。(Wikipediaより)

IMG_0206 村山たか

IMG_0206 村山たか2

青年時代の直弼の恋人として、大老時代には密偵として直弼に献身した女性が、村山たか女です。
たか女は、犬上郡多賀町の多賀大社にゆかりがある出生とされ、名前は「多賀の女」がなまったものとも言われています。
大社の社僧・般若院慈尊(はんにゃいんじそん)と彦根の芸者との間に生まれたとも、大社にあった尊勝院の主・尊賀上人と般若院の妹との子とも伝えられています。

たか女は、直弼の兄で12代藩主・直亮の侍女を勤めたのち、文武の修行に全力を傾けていた埋木舎の直弼を訪ねるようになります。和歌や踊りにも才覚のあったたか女は、直弼と心を通わせていったようです。この頃、直弼が師と仰ぎ、のちに腹心となった長野主膳とも出会っています。
藩主を経て、安政5年(1858)に44才で大老に就いた直弼は、日米修好通商条約を締結しますが、将軍家跡継ぎ問題を含めて、幕府政権への批判者と対立していきます。たか女は直弼の役に立とうと反幕府勢力の動静を探り、情報を集める密偵をかって出たのです。しかし、2年後の桜田門外の変で直弼が水戸藩士の剣に倒れると、たか女も反幕派の標的になり、生き晒しの刑に処されます。三日三晩のはりつけから生きのびたのちは、京都一乗寺の金福寺で尼僧となり、明治9年、68歳で亡くなるまで直弼、そして主膳の菩提を弔い続けたのです。 (井伊直弼と開国150年祭サイトより)

にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします!

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

歴女日記ブログランキングに参加しています。
ご協力お願いしますm(__)m


歴女日記 ブログランキングへ
スポンサーサイト



*CommentList

多賀大社(3)奥書院・名勝庭園

奥書院は多賀大社に残る最も古い建物で、江戸時代中期、安永12年再建の不動院書院跡です。

IMG_0245 奥書院

IMG_0246 奥書院

IMG_0244 奥書院

IMG_0254 奥書院

鶴の間
IMG_0255 奥書院

IMG_0259 鶴の間

IMG_0262 鶴の間

床の間に富士山と鶴が描かれています。

IMG_0261 鶴の間

彦根藩井伊家の参内の時の休憩所ともなり、勅使の間ともいわれています。

狩野派の絵師による襖絵は、元々多賀大社の別当寺(神宮寺)であった天台宗不動院の大書院にあったもので、安永2年(1773年)の大火で大書院が焼失した際にも持ち出されて無事だったそうです。

IMG_0260 鶴の間

庭園(国名勝指定)
IMG_0253 奥書院

奥書院から見下ろすように築かれた安土桃山時代の池泉観賞式の庭園で、広さは約二百坪。

IMG_0256 奥書院

正面に守護石を据え、左右に鶴と亀の岩島を配し、大きな自然石を渡して橋としています。
天正16年(1588)豊臣秀吉が、母・大政所の病気平癒を祈願して奉納した米一万石をもとに築造されたと伝えられています。

にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします!

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

歴女日記ブログランキングに参加しています。
ご協力お願いしますm(__)m


歴女日記 ブログランキングへ

*CommentList

多賀大社(2)文庫~つり鐘

文庫
IMG_0237 文庫

桜田門外の変の後、彦根藩は勤王の旗印を刻印を明らかにしました。
この文庫は、江戸時代に多賀大社の神職などを務めた車戸(くるまど)家の文庫で、昭和7年の造営時に現在地に移築されました。幕末期の車戸宗功(そうこう)は勤皇の考えが強く、長州藩士ら勤王方と彦根藩老との仲介役を務め、徳川幕府家の井伊家の領内にある中で、長州の伊藤俊介(後の博文)らと、この文庫内で密会していたといいます。

IMG_0236 文庫

大釜
IMG_0239 大釜

寛永10年(1633)と元禄12年(1699)の銘が入った釜が2つあり、多賀大社が造営された竣工時に湯神楽に使うために寄進されたとされています。

IMG_0238 大釜

神輿庫
IMG_0241 神輿庫

昭和の造営時に、参集殿の西側から移築され、鉄筋コンクリートで築造されました。
神輿と鳳輦(ほうれん)が保管され、4月22日の古例大祭(多賀祭り)の際、町内を巡行します。

IMG_0240 神輿庫
 
鐘楼
IMG_0242 つり鐘

天文24年(1554)に不動院の別当・祐尊の歓進で鋳造されたもので、寄進者の中には浅井長政の幼名・猿夜叉も。
昭和61年の多賀講創設五百年の記念事業の一環で、現在地に新築された鐘楼内につり下げられました。

IMG_0243 つり鐘
(滋賀彦根新聞参照)

にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。
応援よろしくお願いします!

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村

歴女日記ブログランキングに参加しています。
ご協力お願いしますm(__)m


歴女日記 ブログランキングへ

*CommentList

左サイドMenu

プロフィール

しずか

Author:しずか
毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

大河ドラマに恋して - にほんブログ村

最新記事

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

光 (3)

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
74位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
19位
アクセスランキングを見る>>

アクセス解析