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2015.04/03 [Fri]
徳川家康ゆかりの史跡めぐり(14)中村家住宅 結城秀康の胞衣塚
浜松市雄踏町の中村家住宅の庭に、結城秀康の胞衣塚が残されています。
1574年2月8日、徳川家康の次男(幼名・於義丸、後の結城秀康)がこの中村家で生まれました。
母親は家康の側室・お万の方で、出産時の胞衣をこの胞衣塚に埋めたといいます。
また、胞衣塚上の梅は家康のお手植えと伝えられ、数代を経ているそうです。
1884年、越前松平一門家が塚の由来を記した胞衣塚碑を建立しました。
中村家住宅
胞衣塚
家康お手植えの梅
胞衣塚がある中村家とは?
1568年、家康が遠江に入国した時、中村家18代正吉は船を出して迎えたり、徳川家に仕え、今切軍船兵糧奉行や代官を勤めていました。
こうした関係から家康の正室・築山御前を恐れたお万の方が、於義丸を浜松城でなく、ここ中村家の屋敷で出産しました。
*中村家初代・中村正範は、源範頼の末裔の武士。
中村家住宅は、1483年に建てられ、平成13年から解体修理、復元されて、現在一般公開されています。
長屋門
天井
かやぶき屋根
主屋の内部
(中村家住宅パンフレットより抜粋)
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1574年2月8日、徳川家康の次男(幼名・於義丸、後の結城秀康)がこの中村家で生まれました。
母親は家康の側室・お万の方で、出産時の胞衣をこの胞衣塚に埋めたといいます。
また、胞衣塚上の梅は家康のお手植えと伝えられ、数代を経ているそうです。
1884年、越前松平一門家が塚の由来を記した胞衣塚碑を建立しました。
中村家住宅
胞衣塚
家康お手植えの梅
胞衣塚がある中村家とは?
1568年、家康が遠江に入国した時、中村家18代正吉は船を出して迎えたり、徳川家に仕え、今切軍船兵糧奉行や代官を勤めていました。
こうした関係から家康の正室・築山御前を恐れたお万の方が、於義丸を浜松城でなく、ここ中村家の屋敷で出産しました。
*中村家初代・中村正範は、源範頼の末裔の武士。
中村家住宅は、1483年に建てられ、平成13年から解体修理、復元されて、現在一般公開されています。
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中村家住宅!
此処でお万の方は結城秀康を産み、その地にの胞衣塚を作ったのですね!
築山御前の嫉妬が恐ろしかった諭旨!理解できますね!