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2018.04/13 [Fri]
近衛邸跡
京都御苑の北側、今出川御門近くに五摂家筆頭であった近衛家の邸跡があります
近衛邸跡
この辺りが近衛邸があった場所です。近衛家は、五摂家の一つで、江戸時代までに多くの人が摂政や関白になっています。かつてはこの庭園の池の西側に大きな屋敷があり、御所炎上の際は仮の皇居ともなりました。
池のほとりは、昔から糸桜の名所で、孝明天皇も次の歌を詠まれています。
「昔より 名にはきけども 今日みればむへめかれせぬ 糸さくらかな」(駒札より)
近衛家といえば篤姫。
篤姫といえば島津家。
島津斉彬の姉・郁姫が近衛忠煕の正室になったことなどから近衛家と島津家とは深い関係がありました。
篤姫は斉彬の養女を経て、近衛煕の養女となって、将軍・家定に嫁ぎました。
篤姫は江戸に向かう途中、京に立ち寄り、忠煕との対面を果たしたそうです。
春には糸桜や紅しだれ桜が咲き乱れ、桜の名所となっています。
今年も近衛邸の桜を楽しんできました。
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この辺りが近衛邸があった場所です。近衛家は、五摂家の一つで、江戸時代までに多くの人が摂政や関白になっています。かつてはこの庭園の池の西側に大きな屋敷があり、御所炎上の際は仮の皇居ともなりました。
池のほとりは、昔から糸桜の名所で、孝明天皇も次の歌を詠まれています。
「昔より 名にはきけども 今日みればむへめかれせぬ 糸さくらかな」(駒札より)
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篤姫といえば島津家。
島津斉彬の姉・郁姫が近衛忠煕の正室になったことなどから近衛家と島津家とは深い関係がありました。
篤姫は斉彬の養女を経て、近衛煕の養女となって、将軍・家定に嫁ぎました。
篤姫は江戸に向かう途中、京に立ち寄り、忠煕との対面を果たしたそうです。
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