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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

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神戸の源平史跡を訪ねて(45)一ノ谷の悲劇・平道盛と小宰相の比翼塚

神戸市兵庫区の願成寺

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この寺は、もと烏原村住蓮坂の北手(現在の鳥原水源池の東)烏原谷の左岸にありました。
天平年間(729年~749年)、行基が烏原村に観世音を安置して、観音寺とし、平安後期、衰退していたのを、住蓮坊が中興し、願成寺と称しました。

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境内には、平道盛と、道盛の妻・小宰相局(こざいしょうのつぼね)の比翼塚があります。

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正面の大きなのが、開山の住蓮坊、その右奥が道盛、その右隣の手前にあるのが小宰相局の五輪塔です。

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比翼塚(ひよくづか)とは、愛し合って死んだ男女を一緒に葬った塚のことをいいます。

平道盛は、清盛の弟・4平教盛の嫡男で、母は藤原資憲の娘。
平家の栄達とともに昇進を重ね、越前守まで就任しましたが、重盛の死をともに、後白河院から越前国の知行国主を取り上げられ、国司を解任されました。
このことで、清盛と後白河院が対立を深めたといいます。
倶利伽羅峠の戦いでは、木曽義仲に大敗を喫しました。

小宰相は、上西門院の女房で、16歳の頃、法勝寺の花見にお供した際、平通盛が彼女に一目惚れし、やがて、女院の仲立ちで二人は結ばれました。
政治的な結びつきではなく、恋愛の末に結ばれた二人の仲は、仲睦まじかったといいます。
しかし、寿永3年2月 通盛が一ノ谷の戦いで討ち死にすると、小宰相は道盛の後を追い、船から身を投げました。

住蓮坊は、東大寺の僧・実遍の子で、出家して法然の弟子になりました。
建永元年(1206年)12月、安楽房遵西とともに後鳥羽上皇の女房・松虫、鈴虫たちと密通をはたらいたとの嫌疑をかけられ、翌建永2年・承元元年(1207年)には近江で弟子の僧と共に斬首の刑に処せられました。この事件の背景には、法然の浄土教教団に対する弾圧がありました。

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Comment

神戸の源平の史跡! 

本当に神戸市や明石市も源平の史跡を大事に残していますね!

感心を通り過ぎ驚異を感じています!

四方さんへ 

四方さんのおっしゃる通りですね。
このようにきちんと残っているからこそ
観光客も足が向くのだと思います。
  • posted by しずか 
  • URL 
  • 2012.12/23 13:03分 
  • [Edit]

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