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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

User Tag [どうする家康 ]を含む記事一覧

方広寺大仏跡「大仏殿跡緑地公園」

かつて方広寺の大仏の台座があったとされているところは、「大仏殿跡緑地公園」として整備されています。中央の盛り上がったところに、大仏が安置されていたそうです。 大仏殿跡緑地 かつてこの地には、豊臣秀吉が奈良東大寺にならって創建し、その後秀頼が再建した方広寺の大仏殿が、偉容を誇って建っていました。現在の緑地はその中央部にあたり、2000年に遺構の状態を確認するための部分的な発掘調査が実施されました。調査...

方広寺の遺構が残る京都国立博物館の平成知新館

京都国立博物館の平成知新館は、昭和41年に建てられた平常展示館をリニューアルしたもので、2014年9月に開館しました。設計は、谷口吉生氏。ニューヨーク近代美術館 新館、東京国立博物館 法隆寺宝物館、豊田市美術館などを手がけた世界的建築家です。庭を眺望できるレストラン広々としたロビーや展示場は解放感があって、ゆったりとできる空間です。庭園には噴水もあります。この噴水の辺りに、あの問題の方広寺の鐘があったそう...

方広寺の鐘銘事件

京都の東山にある方広寺は、天台宗山門派の寺で、豊臣秀吉により建立されました。しかし、「方広寺」という寺号は、江戸時代初期の文献には見られず、自然発生的なものとされています。方広寺大仏を発願した秀吉は、正式な寺号を定めておらず、当時は単に大仏(殿)、新大仏(殿)・京大仏(殿)・東山大仏(殿)・京東大仏(殿)・洛東大仏(殿)などと呼ばれていたそうです。天正14年(1586年)大仏殿の造営が開始され、文禄4年(...

家康と秀頼の会見が行われた元離宮二条城

元離宮二条城は、慶長8年(1603)徳川家康が京都の守護および上洛じょうらく時の居城として築城した城で、慶長16年(1611)3月28日、家康と豊臣秀頼の会見が行われました。当初、秀頼はこれを秀忠の征夷大将軍任官の際の要請と同じく拒絶する方向でいましたが、家康は織田有楽や高台院を仲介として上洛を要請し、ついには秀頼を上洛させることに成功しました。Wikipediaによると、「前日の27日未明に、福島正則などを留守居役として秀...

於大の方が暮らした坂部城

洞雲院から坂部城へ。現在、町立図書館が建っている所で、東側は城山公園となっています。徳川家康の生母・於大の方が、城主・久松俊勝と再婚し、15年間暮らした城です。坂部城址  坂部城は久松貞益が築城したと言われる平城で、当時は阿古屋城(あごやじょう)、阿古居城(あぐいじょう)とも呼ばれたと言われている。「尾張志」には、「坂部村にあり、其跡東西40間(約73m)南北50間(約90m)英比(あぐい)の城ともいふ。久松佐...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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