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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

User Tag [井伊直孝 ]を含む記事一覧

彦根藩上級武士の屋敷跡

旧西郷屋敷長屋門旧西郷屋敷長屋門旧西郷屋敷長屋門は、彦根城下では現存する長屋門中最大のもので、特に正面の外観はほとんど旧形を保ち、旧武家屋敷の面影を残す貴重な遺構で、市の指定文化財です。西郷家は遠州(現・静岡県)の出身で「34家」の1つで家老職でした。徳川家康に初代は仕えていましたが、家康の命で天正10年(1582)、井伊直政の付家老となり、幕末まで仕えました。彦根藩の当初より幕末まで、同じ土地で替地の無...

井伊直孝ゆかりの若宮八幡宮(焼津)

寛永6年(1629)、井伊直孝は自らの出生地の駿河国益津郡(現焼津市)の中里に若宮八幡宮を建立しました。直孝の幼名は弁之助と言い、小さいころから度胸がすわっていて、誠実で裏表がない性格で、少年のころ家に忍び込んだ盗賊を退治した話や、招き猫の由来となった言い伝えなど、多くの逸話が残る人物でもあります。父の直政は戦場で「井伊の赤鬼」と恐れられましたが、息子の直孝も大変勇敢で戦術に優れ、大坂夏の陣では大きな功績...

井伊直孝産湯の井

焼津市中里に、井伊直政の次男である彦根藩2代目藩主・井伊直孝の産湯の井があります。彦根藩の初代藩主である父の井伊直政は、徳川四天王の一人と称えられた大名でした。家康が関東に移る際に井伊家も上野国箕輪に移つることになり、直政は東海道を通った折、岡部宿本陣に泊まり、中里出身の娘が、身の回りのお世話をすることになりました。直政は娘をたいそう気に入ったといいます。その後、天正18年(1590)、娘は男の子を産みま...

彦根城 西の丸三重櫓~馬屋

天守閣前広場に現れたひこにゃんあっという間に人垣が出来ました。次は西の丸三重櫓へ西の丸三重櫓 彦根城内には、天守のほかにも2棟の3階建物がありました。1棟が現存する西の丸三重櫓で、もう1棟が明治初年に取り壊された山崎曲輪の三重櫓でした。西の丸三重櫓は、本丸に隣接する西の丸の西北隅に位置しており、さらに西に張り出した出曲輪(でぐわ)との間に設けられた深い大堀切(尾根を切断して造られた空堀)に面して築かれ...

彦根・北野神社

彦根城の西側に鎮座する北野神社は、元和6年(1620)、彦根藩2代藩主・井伊直孝が、幼時尊崇した上野国北野寺の鎮守社の天満宮を勧請し、彦根城築城の際、古来からあった彦根寺を北野寺と改めて別当寺とし、藩主の祈願社としたのにはじまります。彦根藩主の崇敬篤く、105石の給付をはじめ、社殿の修理、祭儀の費用はすべて藩費でまかなわれ、社参、寄進等もしばしば行なわれたといいます。寛政7年、社殿が焼失しますが、その後井伊直...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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