大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

User Tag [井伊直弼 ]を含む記事一覧

井伊直弼(彦根藩)の上屋敷跡・憲政記念館

国会議事堂に隣接する国会前庭内に建つ憲政記念館は、1960年に建てられた尾崎行雄(衆議院名誉議員)を記念する「尾崎記念会館」を母体に、1970年(昭和45)日本における議会政治80周年を記念して設立され、1972年(昭和47)に開館しました。国会議事堂憲政記念館江戸時代の初めには加藤清正が屋敷を建て、その後大老職を務めた井伊直弼(彦根藩)の上屋敷になり、明治時代になってからは参謀本部・陸軍省がおかれました。その頃の石...

鹿児島の旅(13)仙巌園・近代薩摩焼発祥の地

石垣と薩摩焼の窯跡幕末、この石垣のあるあたりは海岸線で、石垣の上に島津斉彬によって設けられた薩摩焼の窯などが立ち並んでおり、金爛手と呼ばれる華麗な絵付けを施した陶器のほか、反射炉に用いられた耐火レンガがつくられました。この通りは、仙巌園ブランドショップのお店などが立ち並んでいます。ここでしか手に入らない限定品もありますよ。近代薩摩焼発祥の地西欧諸国で、「SATSUMA」と呼ばれ珍重された近代薩摩焼は、こ...

鹿児島の旅(8)月照上人遺跡の碑

鹿児島市金生町にある月照上人遺跡の碑。安政5年(1858年)8月から始まった井伊直弼による安政の大獄で、月照は追われる身となり、西郷隆盛とともに京都を脱出し、下関を経て、安政5年(1858)年、11月に鹿児島に到着。藩では厄介者である月照の保護を拒否し、西郷に「日向国送り」を命じました。これは、単に身柄を移送するのではなく、薩摩国と日向国の国境で殺害することを意味していました。これを知った月照は死を覚悟し、西郷...

安政の大獄で刑死した志士たちの墓・小塚原回向院

東京都荒川区南千住五丁目にある回向院は、過去は両国回向院の別院でしたが、現在は独立しています。正称は豊国山回向院。小塚原回向院とも呼ばれています。小塚原の刑場跡1651年(慶安4年)に新設された小塚原(こづかっぱら、こづかはら)刑場での刑死者を供養するため、1667年(寛文7年)に本所回向院の住職弟誉義観(ていよ・ぎかん)が常行堂を創建したことに始まるとされています。小塚原の刑場は、寛文7年(1667)以前に浅...

金亀会館(旧彦根藩校弘道館)

江戸後期、各藩とも藩士の文武奨励のため、各地で藩校が設立されました。彦根藩の藩校「稽古館」は、11代藩主・井伊直中が寛政11 年(1799)城下第二郭(現在の彦根西中学校運動場付近)に設立した講堂、学寮、剣術や槍術、弓術、馬術などを習う施設を備えた大規模なものでした。彦根西中学校運動場運動場に建つ弘道館跡の碑天保元年(1830年)、12代藩主・井伊直亮は、名称を「弘道館」と改め、洋学を講義に取り入れました。 井伊...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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