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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

User Tag [井伊直虎 ]を含む記事一覧

井伊の赤備え発祥の地

浜松秋葉神社は、徳川家康が永禄十三(1570)年正月浜松城入場の際、秋葉寺第二十五代別当、叶坊光幡を浜松城下へ引具し、叶坊の願いを聞きいれ、天竜区春野町の秋葉権現堂を勧請したことがはじまりです。御前崎市から湖西市に至る地域一帯の秋葉信仰の中心としての役割を担い、家康が勧請した神社として、以後歴代の浜松城主の崇敬も厚く、多くの灯篭が寄進されています。三州西尾城主松平和泉守源乗寛年号 文化七年(1811)の灯籠こ...

井伊谷の龍潭寺(2)小堀遠州作の名勝庭園

仁王門本堂の真南、寺全体の正面に位置している仁王門は、昭和62年(1987)清山和尚代に建立されました。さて、龍潭寺の本堂に入ってみましょう。庫裡 丈六の釈迦牟尼仏   丈六の釈迦牟尼仏  この仏さまは遠州地方第一の大仏さま、丈六仏です。丈六とは一丈六尺(5米)の寸法をいいますが、お座りですから三米ほどの高さです。  静かに己の心を深く見つめておられる、座禅のお姿の仏さまです。  この仏さまのお体には黒い...

井伊谷の龍潭寺(1)井伊直政出世の地

後醍醐天皇の皇子・宗良親王の菩提寺である龍潭寺は、古くは地蔵寺といい、天平5年(733)に行基によって開創されたと伝わっています。井伊家は藤原鎌足の後裔とされ、藤原共資公(元祖共保公の父)の時、遠江国守として遠州村櫛に下り、共保公より井伊谷の地に移り、約五百年間にわたり、井伊谷の庄を治めました。保元の乱では源義朝に、鎌倉時代には源頼朝に仕え、南北朝時代では御醍醐天皇皇子・宗良親王を迎え北朝と戦いました...

井伊谷三人衆の鈴木家の居城であった柿本城

今日も、「おんな城主直虎」関連の記事です。愛知県新城市の柿本城は、井伊家被官であった鈴木重勝が、三河遠江国境の備えのため、永禄11年(1568)に徳川家康の命により築城を開始したと考えられています。重勝の長男は井伊谷三人衆のひとりである鈴木重時、娘は井伊直親の母に当たります。また、重時は、奥山の娘を妻に迎え、井伊家との結びつきを強めていきました。1572年(元亀3年)10月、武田信玄の家臣・山県昌景の軍勢が信...

新城の満光寺(1)鈴木重勝が再興した満光寺

今日は、「おんな城主直虎」関連の記事です。愛知県新城市にある満光寺は、奥三河七観音霊場の五番寺です。山門は新城市の指定文化財に登録されています。元々は天台宗のお寺として建立されましたが、戦火に焼かれ、天文2年(1533)今川義元の家臣・柿本城主の鈴木長門守重勝により曹洞宗の寺として再興されました。重勝は、井伊谷三人衆のひとり、鈴木重時の父であり、重時の嫡子・重好がわずか12歳で後を継ぎました。また、重勝...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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