大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

User Tag [今川義元 ]を含む記事一覧

豊橋の旅(5)吉田城争奪戦

吉田城の縄張りは豊川と朝倉川を背に本丸を基点として二の丸・三の丸を前面と側面に配した半輪郭式の「後堅固の城」というものです。ただし、河川を背にし、本丸を直接攻撃されやすい弱点もあるため、本丸背後に腰曲輪を設け、石垣も高くしています。 城域は、東は現在の飽海町から旭町、南は曲尺手町から呉服町、西は関屋町に及ぶ広大なものでした。 隅櫓(鉄櫓)本丸には1954年(昭和29年)に隅櫓(鉄櫓)が模擬再建され、中は資...

豊橋の旅(2)吉田神社

愛知県豊橋市関屋町2番地にある吉田神社。古くは天王社・牛頭天王・吉田天王社と称した古社で、スサノオノミコトを祀り、源頼朝、今川義元、徳川家康らの多くの武将たちから崇拝を受けました。その中でも源頼朝が深く崇拝したことから、頼朝公の行列を再現した神輿渡御(みこしとぎょ)が天王祭として誕生したのが、豊橋の祇園祭の起源とされています。治承2(1178年)頼朝が伊豆に配流の途上、雲谷の普門寺に逗留した折、鈴木十郎...

今川義元の胴塚(大聖寺)

牛久保駅から徒歩で10分ほどのところに大聖寺というお寺があります。この大聖寺の境内に、石柵に囲まれた今川義元の胴塚があります。今川義元は永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで、織田信長の奇襲を受けて敗死しました。家臣達が首のない義元の遺体を背負って駿河へ帰る途中、ひとまずこの地に葬り、手水鉢を置いて墓じるしとしました。嫡子の今川氏真は、父の三周忌を大聖寺で営み、位牌所として寺領の支配、諸役免除を認めた安堵...

牛久保城跡

牛久保城は三河国宝飯郡牛久保にあった平城です。享禄2年(1529年)に宝飯郡の牧野城主であった牧野成時(古白)の子、成勝が築城したと伝えられています。以来、成勝、貞成、成定、康成の牧野氏4代にわたる居城となりました。牧野成定の時代の1561年(永禄4)に、前年の桶狭間の戦いで今川氏から自立して三河の平定に乗り出した松平元康(徳川家康)の奇襲攻撃を受けますが、この奇襲は失敗し、牛久保城はしばらくの間、今橋城(...

井伊直親の墓

永禄5年(1562)、家老の小野但馬守が、「井伊直親が松平元康(のちの徳川家康)と内通して謀反を起こそうとしていると、今川氏真に讒言をしたため、直親は、弁明に駿河へ向かう道中、掛川城主・朝比奈備中守によって謀殺されました。享年27。直親の首は、南谿和尚が蜂前神社の宮司を使いに出して掛川城からもたい受け、首と体を一緒にして、棺に入れ、都田川の河畔で火葬にされました。直親の墓は都田川と堤防の中間になった平場に...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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