User Tag [小野政次 ]を含む記事一覧
六波羅を歩いて(2)六道珍皇寺
京都の行く度に、何度か訪れた六道珍皇寺平家一門の館があった六波羅の地は、鳥辺野の端にあたるため、現世と冥界の接点と考えられ、六道まいりの信仰を集めました。六道珍皇寺は、建仁寺の塔頭で、古くは愛宕寺と呼ばれました。平安・鎌倉時代には東寺を本寺として隆盛しましたが、その後衰退。室町時代に再建され、臨済宗に改められました。平清盛が死去した後、荼毘に付したのが六道珍皇寺辺りだといわれています。六道珍皇寺に...
- 2022.03.22
- [鎌倉殿の13人:平清盛(鎌倉殿の13人)]
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六道珍皇寺 小野篁ゆかりの井戸
京都の行く度に、何度か訪れた六道珍皇寺平家一門の館があった六波羅の地は、鳥辺野の端にあたるため、現世と冥界の接点と考えられ、六道まいりの信仰を集めました。六道珍皇寺は、建仁寺の塔頭で、古くは愛宕寺と呼ばれました。平安・鎌倉時代には東寺を本寺として隆盛しましたが、その後衰退。室町時代に再建され、臨済宗に改められました。平清盛が死去した後、荼毘に付したのが六道珍皇寺辺りだといわれています。六道珍皇寺に...
浜北の尾野を訪ねて(1)小野篁屋敷跡
「おんな城主直虎」の放送された年に、浜北区の尾野を訪ねて来ました。あちこちに尾野や小野の名が付く建物があります。小野家は、平安時代の貴族・小野篁の末裔だという説があり、尾野に篁屋敷跡という史跡が残されています。こちらは個人宅の敷地なので、了承を得て、撮影、掲載をさせていただきました。これらの石碑が古くからのものであるそうです。小野篁(802年〜852年)は参議小野岑守の子。嵯峨天皇につかえた平安初期の官...
井伊家家老 小野屋敷跡地
井伊谷のみそまん通りに面するお店の前に「井伊家家老 小野屋敷跡地」があります。ここは、井伊家の屋敷や、新野左馬之助の屋敷からも近く、仕事場としての館であったようです。井伊氏居館跡新野左馬助館跡井伊家家老 小野屋敷跡地大河ドラマ放送当時は、週末になると、お店の前で、Tシャツ、ハンカチなど直虎グッズが販売されたり店内では政次、直虎、直親の名前のついたパンが、3種類セットで販売されており、何度も足を運びま...
小野但馬守政次を祀る二宮神社
二宮神社 は、井伊郷の荘司である三宅氏の始祖・多道間守を祀る神社です。元中2年(1385)には南朝方、後醍醐天皇の第4皇子である宗良親王を合祀し、二柱の神霊を祭祀するようになり現社号となりました。江戸時代になり、井伊家が彦根に移った後、新しい領主が、小野政次の霊を但馬明神として祀りました。現在は、拝殿横の天王社に合祀されています。二宮神社の神主を務めた中井家に伝わる話によると、政次は井伊家の一門衆から切腹...
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