大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

User Tag [徳川家康 ]を含む記事一覧

掛川城御殿

掛川城御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の 政務をつかさどる役所という3つの機能を合わせ持った施設です。掛川城御殿 は二の丸に建てられた江戸時代後期の建物で、現存する城郭御殿しては、京都 二条城など全国で4箇所しかない貴重な建築物です。   書院造りと呼ばれる建築様式で、畳を敷き詰めた多くの部屋が連なり、各部屋 は襖で仕切られています。当初は本丸にも御殿が作られましたが、老朽化...

駿府城(4)本丸堀~坤櫓

本丸堀 本丸堀は、駿府城の三重堀の一番内側の堀で本丸を取り囲んでいます。幅約23〜30mで深さは江戸時代には約5mありました。石垣は荒割りした石を積み上げ、隙間に小さな石を詰めていく「打ち込みはぎ」と呼ばれる積み方です。角の部分は「算木積み」という積み方で横長の石を互い違いに積んで崩れにくくしています。 発掘調査により再び姿をあらわした本丸堀は、江戸時代の雰囲気が感じられる貴重な遺構です。 坤櫓坤櫓とは...

駿府城(3)本丸跡~刻印のある石垣

本丸跡には、徳川家康の像が立っています。この像は威厳に満ちていますね。駿府城  今から約650年前の室町時代、今川範国が駿河守護職に任じられて以降、駿河国は今川氏によって治められました。9代義元の今川氏全盛の頃、徳川家康は7歳から18歳までの間、人質として駿府に暮らしました。永禄3年(1560)今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、今川氏は急速に衰退し永禄11年(1568)武田氏により駿府を追われました。 徳川家康は...

駿府城(2)駿府城跡天守台発掘現場

平成28年から駿府城公園北西部にて発掘調査が行われています。現場を観覧できる「見学ゾーン」平成30年までは天守台と内堀、平成31年度は今川時代の遺構を調査していくそうです。併設されている「発掘情報館きゃっしる」では、発掘調査に関する情報や発掘されたものが展示されています。瓦石塔金箔瓦は、織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく:織田信長、豊臣秀吉とその配下の大名が築城した城の総称)に使用され、安土城や大坂城...

駿府城(1)東御門

14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏によって、この地には今川家の居館(今川館)が築かれ、今川家の居城となっていました。今川氏は隣接する甲斐国の武田氏、相模国の後北条氏と同盟を結び領国支配を行いましたが、16世紀には武田氏との同盟関係が解消され、武田氏の駿河侵攻により、居館は失われてしまいました。その後、武田氏は1582年(天正10年)に織田・徳川勢力により滅亡し、駿河の武田遺領は徳川家康が領有する...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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