User Tag [徳川家康 ]を含む記事一覧
諏訪原城跡
諏訪原城(すわはらじょう)は、遠江国榛原郡金谷(現在の静岡県島田市金谷)の標高212mから220mの台地にあった戦国時代の山城です。天正元年(1573)、武田勝頼は、遠江侵攻の拠点とするため、家臣の馬場美濃守信春に命じて、牧ノ原台地に築城しました。城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城と名が付いたと言われています。駿遠の国境に位置し、掛川の高天神城攻略の陣城として、攻略後は兵站基地としての役割を担いました。天...
- 2023.05.28
- [どうする家康:武田勝頼(どうする家康)]
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武田信玄死後~大賀弥四郎事件
武田軍の突然の撤退は、徳川家康に武田信玄死去の疑念を抱かせ、その生死を確認するため、武田領である駿河国の岡部に侵攻・放火し、三河国では長篠城を攻めるなどしたところ、武田軍の抵抗がほとんどなかったことから信玄の死を確信。家康は、武田氏に与していた奥三河の山家三方衆(作手城の奥平氏、長篠城の菅沼氏、田峰城の菅沼氏)の一角である奥平貞能・貞昌親子を調略。浜松秋葉神社境内の山家三方衆屋敷跡奪回した長篠城に...
- 2023.05.27
- [どうする家康:徳川家康(どうする家康)]
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結城秀康を祀る天神社と徳川ゆかりの息神社
中村家住宅から舞阪駅に向かう途中で通りかかった天神社中村家の氏神で、元々中村家の敷地内にありましたが、現在は中村家住宅の北西に移されています。中村家住宅「天神社跡地」明治13年より昭和33年まで鎮座弘化2年(1854)津山藩8代藩主 松平齋民(なりたみ)公が再建したもの。現在は中村家住宅の北西に移されている。釘隠しは津山藩 上屋敷 鍜治橋屋敷のものを使用した。こちらは、松平秀康(結城秀康)をお祀りしている神社で...
- 2023.05.23
- [どうする家康:結城秀康(どうする家康)]
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お万の方が結城秀康を産んだ中村家住宅
浜松市雄踏町に中村家住宅という重要文化財があります。天正2年(1574年)2月8日、徳川家康の次男(幼名・於義丸、後の結城秀康)がこの中村家で生まれ、庭には、秀康の胞衣塚が残されています。母親は家康の側室・お万の方で、出産時の胞衣をこの胞衣塚に埋めたといいます。中村家住宅のパンフレットによると、中村家の初代・中村正範(まさのり)は、源範頼の末裔の武士で、大和国広瀬郡中村郷に住んだ。1481年に14代正實(まさ...
- 2023.05.22
- [どうする家康:結城秀康(どうする家康)]
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浅井氏の菩提寺「徳勝寺」浅井三代の墓
長浜市にある曹洞宗の徳勝寺は、小谷城主・浅井氏の菩提寺で、元は応永年間(1394年~1428年)東浅井郡上山田村にあったの医王寺という寺でした。永正15年(1518)小谷城主であった浅井亮政が城下の清水谷に移し、浅井家の菩提寺としました。小谷城落城により、浅井氏が滅亡し、かわって湖北を治めることになった豊臣秀吉が、居城を小谷から長浜に移した際に、文禄4年(1595)、当寺も長浜城内に移築され、亮政の法号に因んで、「徳勝...
- 2023.05.21
- [どうする家康:浅井長政(どうする家康)]
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