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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「光る君へ」「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

User Tag [NHK大河ドラマ ]を含む記事一覧

平安京の内裏跡(21)平安創始待賢門跡

上京区大黒町の猪熊通に平安創始待賢門跡の碑があります。待賢門(たいけんもん)は、平安京大内裏の外郭十二門のひとつである。左衛門府が警固を担当した。平城宮跡 建部門大内裏の東面、郁芳門の北、陽明門の南。大宮大路に面し、中御門大路に向かう。大きさは5間、戸3間だった。延暦13年(794年)、宮城経営のとき播磨国が造営し、建部氏がこれを監したことがその名称の由来(たけるべ → たいけん)。当初は「建部門」といった...

平安京の内裏跡(20)平安宮内裏凝華舎(梅壺)跡・飛香舎(藤壺)跡

土屋町通に平安宮内裏凝華舎(ぎょうかしゃ)(梅壺)跡・飛香舎(ひぎょうしゃ)(藤壺)跡の案内板があります。内裏の後宮七殿五舎の一つ。南庭(壺)に紅白の梅を植えていたので梅壺と呼ばれた。東宮(皇太子)の居所に使われたこともある。 母屋は東西五間、南北二間で四方に庇、東西は孫庇を持ち、周囲は簀子(すのこ)がめぐっていた。 梅壺女御としては円融天皇妃で一条天皇生母の藤原詮子(東三条院、藤原道長の姉)が有名。『源氏...

東三条殿跡(東三条院址)

京都市中京区押小路通釜座西北角に「東三条院址」の碑があります。 東三条院とも。藤原良房の邸宅に始まり、忠平を経て藤原兼家へ伝えられました。入内した娘たちの里邸となり、親王の養育も行われ、里内裏としても用いられました。 兼家のあと藤原詮子(東三条院詮子)を経て藤原道長が所有し、道長から頼通へ伝えられました。 その後、焼失・再建を繰り返しながら藤原氏代々の氏長者に伝わり、立后・大饗などの儀式もここで行わ...

周防国分寺

周防国分寺は、天平13年(741年)の聖武天皇の詔により各国に建立が命じられた国分寺のうちの一つ、周防国の国分寺です。付近には南西に周防国衙跡が立地し、古くから政治的・文化的中心地であったことが窺えます。平安時代中期以降は、朝廷の衰微に伴って周防国分寺も衰退しますが、鎌倉時代、周防国が総国分寺である東大寺の経費の支出をまかなう料国となったのを契機に再興されました。応永24年(1417年)に焼失しましたが、同2...

周防国衙跡 西北隅(防府)

周防国衙跡は、周防国の行政を司る役所(国府)が置かれたところです。佐波神社を参拝した後、偶然、周防国衙跡西北隅の前を通り掛かったので撮影しました。周防国衙跡(すおうこくがあと)は、山口県防府市国衙1 - 3・5丁目、警固町2丁目、勝間3丁目ほかに所在する、律令制下の地方行政関連施設跡である。1937年(昭和12年)6月1日に国の史跡に指定される。発掘調査は1961年(昭和36年) - 1964年(昭和39年)を第1次調査として、...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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