FC2ブログ

大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [未分類 ] 記事一覧

品川宿本陣跡

品川は平安時代よりその地名があり、鎌倉時代には江戸湾の港として栄えました。江戸時代、品川宿は日本橋を起点とする東海道最初の宿場町として栄えました。大名や勅使が休息・宿泊する旅宿は本陣といわれ、江戸前期には北品川宿、南品川宿にそれぞれの本陣がありましたが、中期以降は北品川宿1つだけになりました。現在の本陣跡は1771年に定着し、品川三宿のほぼ中央に位置しています。品川宿本陣跡明治元年(1868)の明治天皇東幸...

品川台場(御殿山下台場跡)

京急線 北品川駅徒歩5~6分、品川区東品川に、品川台場(御殿山下台場跡)があります。御殿山下砲台は、江戸防衛のため幕末に築かれた「品川台場」のひとつです。1853年6月のペリー来航により脅威を感じた幕府は、江戸内湾防御のために11基の台場築造を計画し、勘定吟味役の江川太郎左衛門が指揮を取って、同年8月から御殿山や泉岳寺の一部の土砂を切り崩して工事を進めましたが、資金不足のため、完成したのは御殿山下砲台を含めて6...

禁門の変(5)入江九一の最期と墓

入江九一は、天保8年(1837年)、長州藩の足軽・入江嘉伝次の長男として生まれました。弟に野村靖(和作)、妹にすみ子(伊藤博文の最初の妻)。入江九一(『高名像伝 : 近世遺勲. 地』(Wikipediaより)安政3年(1856年)家督を継ぎ、安政4年(1857年)に弟が吉田松陰の松下村塾に入塾。九一は家計を支えるため、安政5年(1858年)になって入門。松陰から「僕はこの人にはおよばない」といわしめるほど、高く評価され、久坂玄瑞、高...

禁門の変(3)弘源寺の長州藩士の刀傷

弘源寺は、天龍寺の塔頭寺院で、永享元年(1429)室町幕府の管領であった細川持之が、天龍寺の開山・夢窓国師の法孫にあたる玉岫禅師を開山に迎え創建し、持之の院号をもって弘源寺の寺号としました。創建当時は小倉山の麓に位置し北は二尊院、南は亀山にいたる広大な寺領を有していましたが、幾度かの火災に遭遇し変遷を重ね、明治15年に末庵である維北軒と合寺しました。 通常非公開ですが、春と秋に特別拝観が行われます...

木屋町通の幕末維新の史跡(2)

佐久間象山・大村益次郎遭難之碑三条木屋町の高瀬川の橋の東側に、「佐久間象山先生・大村益次郎卿遭難之碑」の道標があります。佐久間象山 大村益次郎 遭難之碑佐久間象山は信州松代藩出身で、儒学や朱子学を修め、西洋科学の導入で日本の殖産興国に尽力しました。彼の塾からは、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬ら傑物を排出しています。元治元年(1864)に上洛し、開国論を唱えて公武合体に努めた為同年7月11日に刺客に惨殺されまし...

左サイドMenu

プロフィール

しずか

Author:しずか
毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

最新記事

最新トラックバック

カテゴリ

光 (3)

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
110位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
25位
アクセスランキングを見る>>

アクセス解析