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家族(浅井長政とお市)の像
4月2日の放送から、浅井長政が登場するらしいので、それに合わせて、浅井長政と家族の像をアップします。長浜市浅井支所の向かいに「家族(長政とお市)」の像があります。浅井長政と妻のお市の方、そして彼らの子どもたちの浅井三姉妹(茶々、初、江)と嫡男の万福丸お市の方が指差している方向は、以前は小谷山だったそうですが、来場者に背を向けることを避けるため、今は琵琶湖の方を向いているそうです。家族(長政とお市)町名...
秋の鎌倉宮
鎌倉市二階堂にある鎌倉宮は、建武中興十五社の一社で、、後醍醐天皇皇子の護良親王を主祭神としています。1869年(明治2年)2月、武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武中興に尽力した親王の功を賛え、明治天皇は護良親王を祀る神社の造営を命じて自ら宮号を「鎌倉宮」と名づけ、7月に東光寺跡の現在地に社殿が造営されました。護良親王の通称である大塔宮(おおとうのみや)に因み、地元では大塔宮(だいとう...
平忠度の腕塚堂(平忠度塚)
神戸市長田区にある平忠度の腕塚堂(平忠度塚) 平忠度は、平清盛の末弟で、歌道にもすぐれた豪勇で知られた武将でした。源平一の谷合戦(1184年)のとき、平忠度は一の谷陣の大将でしたが、敗れて駒ヶ森指して落ちていく途中、源氏の武将岡部六弥太忠澄と戦い、首を討ち取ろうとしたところを、忠澄の家臣に後ろから右腕を切り落とされてしまいました。忠度はついに静かに念仏して討たれ、そのエビラ(矢を入れて背に負う道具)には...
一ノ谷の戦い(3)平道盛と小宰相の比翼塚
神戸市兵庫区の願成寺この寺は、もと烏原村住蓮坂の北手(現在の鳥原水源池の東)烏原谷の左岸にありました。天平年間(729年~749年)、行基が烏原村に観世音を安置して、観音寺とし、平安後期、衰退していたのを、住蓮坊が中興し、願成寺と称しました。境内には、平道盛と、道盛の妻・小宰相局(こざいしょうのつぼね)の比翼塚があります。正面の大きなのが、開山の住蓮坊、その右奥が道盛、その右隣の手前にあるのが小宰相局の...
富士川の合戦(3)鈴麦(鈴之儀)
次は、平家側から富士川の合戦を見てみましょう。神戸市兵庫区平野交差点に鈴麦(鈴之儀)という碑があります。鈴麦とは、鈴之儀と同じく、新しい門出(出陣)で、巫女が新郎新婦、参列者に鈴を振り、清らかな鈴の音に託して神の恵みを授ける儀式を指します。この場所から1180年9月22日、平家が富士川の戦いに出陣し、その際、鈴之儀が行われたといいます。鈴麦この場所から、1180年(治承4)月、朝廷の源頼朝追討軍は平維盛(これ...
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