大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [徳川家康 ] 記事一覧

鴨江寺(2)徳川家康が再建した観音堂

鴨江寺の中門から観音堂へと進んでいきます。中門鐘撞堂12月31日の大晦日には除夜の鐘を撞く人々で賑わいます。拝殿聖徳太子が祀られる観音堂鴨江寺の観音堂は豊臣秀吉の時代に火災で焼失しましたが、そのときのお堂の規模は七間四方であったと記録に残っています。江戸時代に入り、元和二年、徳川家康によって観音堂が再建されました。その堂内に安置されていた宮殿が弁天堂の宮殿として現在も残っています。その後、空襲で焼失し...

駿府城(4)本丸堀~坤櫓

本丸堀 本丸堀は、駿府城の三重堀の一番内側の堀で本丸を取り囲んでいます。幅約23〜30mで深さは江戸時代には約5mありました。石垣は荒割りした石を積み上げ、隙間に小さな石を詰めていく「打ち込みはぎ」と呼ばれる積み方です。角の部分は「算木積み」という積み方で横長の石を互い違いに積んで崩れにくくしています。 発掘調査により再び姿をあらわした本丸堀は、江戸時代の雰囲気が感じられる貴重な遺構です。 坤櫓坤櫓とは...

駿府城(3)本丸跡~刻印のある石垣

本丸跡には、徳川家康の像が立っています。この像は威厳に満ちていますね。駿府城  今から約650年前の室町時代、今川範国が駿河守護職に任じられて以降、駿河国は今川氏によって治められました。9代義元の今川氏全盛の頃、徳川家康は7歳から18歳までの間、人質として駿府に暮らしました。永禄3年(1560)今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、今川氏は急速に衰退し永禄11年(1568)武田氏により駿府を追われました。 徳川家康は...

駿府城(2)駿府城跡天守台発掘現場

平成28年から駿府城公園北西部にて発掘調査が行われています。現場を観覧できる「見学ゾーン」平成30年までは天守台と内堀、平成31年度は今川時代の遺構を調査していくそうです。併設されている「発掘情報館きゃっしる」では、発掘調査に関する情報や発掘されたものが展示されています。瓦石塔金箔瓦は、織豊系城郭(しょくほうけいじょうかく:織田信長、豊臣秀吉とその配下の大名が築城した城の総称)に使用され、安土城や大坂城...

駿府城(1)東御門

14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏によって、この地には今川家の居館(今川館)が築かれ、今川家の居城となっていました。今川氏は隣接する甲斐国の武田氏、相模国の後北条氏と同盟を結び領国支配を行いましたが、16世紀には武田氏との同盟関係が解消され、武田氏の駿河侵攻により、居館は失われてしまいました。その後、武田氏は1582年(天正10年)に織田・徳川勢力により滅亡し、駿河の武田遺領は徳川家康が領有する...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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