大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [徳川家康 ] 記事一覧

金襴の池

刑部城址の近くにある金襴の池の案内板。刑部城に伝わる話です。 金襴の池昔、この辺りに美しい金襴の蛇が住む大池がありました。今から400年余の昔、この近くに刑部城という小城があり、城主は城兵を擁して守っていました。その頃、浜松城に移って来た徳川家康は、その勢力を伸ばそうと戦いを繰り広げ、ついに家康公の配下が多くの兵を率いてこの城に攻め込んできました。その勢いはもの凄く、ひとたまりもなく敗れてしまいま...

刑部城址

刑部城は、三方を都田川に囲まれた要害の地に今川方により築かれた新田美作入道の居城でした。1568年(永禄11年)井伊谷三人衆の近藤康用・菅沼忠久・鈴木重時らの案内により侵攻した徳川軍の侵攻により庵原庄太郎忠良・長谷川次郎右衛門秀匡・内山一党の守る刑部城を落城。その後は菅沼又左衛門が城主として入城しました。1572年(元亀3年)12月、「三方原の合戦」に勝利した武田信玄は、祝田から刑部城に進軍。現在の浜松市北区...

家康が敗走した浜松城の玄黙口

浜松城の出入口の一つに玄黙口(げんもくぐち)があったことから、徳川家康の時代には玄黙と呼ばれており、現在の元目町の町名の由来になっています。ここは浜松城の東北隅に位置にあたり、かつて玄黙寺がありました。三方原の合戦で敗れた家康が、玄黙口から逃げ帰ったと伝わっています。奥に見えるのが、ホテルコンコルド浜松です。この案内板の位置は、ちょうど元城東照宮の裏手になります。家康は恐怖のあまり、馬上で脱糞しな...

三方原古戦場の碑~祝田坂~根洗松

三方原の戦いは、元亀3年12月22日(1573年1月25日)に、遠江国敷知郡の三方ヶ原で起こった武田信玄と徳川家康・織田信長の間で行われた戦いです。1572(元亀3)年、上洛を目指し、武田信玄が遠江国に進軍することを知った家康は、浜松城を出発・追撃し、三方ヶ原の地で戦いとなりましたが、兵の数でも軍術でも劣る徳川軍は総崩れとなり、家康も命からがら浜松城へ逃げ帰りました。この後、井伊谷領はしばらく武田軍に占拠されるこ...

三方原古戦場犀ヶ崖

浜松城の北側1kmに「犀ヶ崖」という断崖があります。ここは、三方原古戦場犀ヶ崖として昭和14(1939)年に静岡県の史跡に指定されています。元亀3年の三方原の合戦で、徳川家康は武田軍に大敗し、浜松城に逃げ込みました。戦いは夜まで続き、攻撃を続ける武田軍は犀ヶ崖まで進攻してきましたが、この辺りの地理に疎く、夜であったため、足を踏み外して崖から転落してし、武田軍は多くの死者を出したという話が残っています。またこれ...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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