Category [建礼門院徳子 ] 記事一覧
大原の里(5)建礼門院大原西陵
寂光院手前にある建礼門院の御陵。晩年は平家一族を弔いながら念仏三昧の日々を過ごし、59歳の生涯を閉じました。この近くに建礼門院に仕えていた阿波内侍の墓もあります。F2ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願い致します。...
大原の里(3)寂光院と建礼門院
建礼門院が平家滅亡後、平家一門と安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で暮らした。寂光院には建礼門院が隠棲した庵室跡があります。本堂は平成12年に火災により消失、その後復元されました。現在の本堂は、内陣および柱は飛鳥様式、藤原様式および平家物語当時の様式で、外陣は桃山様式のものを古式通りに忠実に復元されました。本堂手前にある南蛮鉄の雪見灯籠は豊臣秀吉び寄進で桃山城から移したものです。F2ブログランキングに...
大原の里(2)落合の滝
さらに寂光院の方に進んで行くと落合の滝があり、その傍らに建礼門院の詠んだ歌が書かれた歌碑があります。ころころと 小石ながるる谷川の 河鹿なくなる 落合の滝F2ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願い致します。...
大原の里(1)朧の清水(おぼろのしみず)
大原の寂光院へ続く道の傍らにある建礼門院ゆかりの史跡です。出家した建礼門院は、大原の里に移り、寂光院で余生を過ごしました。建礼門院が京都から寂光院へ向かう途中、この清水に自分の姿を映してみたら月光によっておぼろげに見えたといいます。「朧の清水」という言葉は、歌枕として、有名な歌の中に詠まれています。 吉田兼好「大原やいづれ朧の清水とも知られず秋はすめる月かな」与謝蕪村「春雨の中におぼろの清水かな...
長楽寺 建礼門院秘宝展(2)
相本堂と梵鐘 毎年大晦日の除夜の鐘として鳴らされ ています。この辺りは紅葉が残っていました。相阿弥作庭園室町時代、相阿弥が足利八代将軍義政の命により銀閣寺の庭を作る時、試作的に作ったと伝えられています。F2ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願い致します。...
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