Category [三条実美 ] 記事一覧
七卿落ち(9)朝倉八幡宮
山口市の朝倉八幡宮は、貞観元年(859)宇佐八幡宮から勧請したと伝えられる古社です。湯田へ落ち延びてきた三条実美ら七卿は、尊王攘夷の祈願のためにたびたびここに参拝していました。境内には、三条実美・三条西季知・壬生基修・東久世通禧の歌碑が建っています。七卿歌碑朝倉八幡宮にまうでてゆうたすきかくる祈りはうけよ神わたくしならぬ願なりけり 三条西季知ゆうたすきかけて祈るも一すぢにわがまごころをつくす...
七卿落ち(8)太田家住宅
太田家住宅は、元は福山藩の御用名酒屋を務めた保命酒の蔵元「中村家」の屋敷で、明治時代に太田家の所有となりました。瀬戸内海を代表する往時の商家の佇まいを今に伝える、歴史的価値のある建造物で、1991年に国の重要文化財指定を受けました。建物は、主屋や保命酒醸造蔵など9棟からなり、見事に保存されています。これらの建物群は江戸時代中期から後期にかけて「旧保命酒屋」中村家が拡張・増築していったものですが、明治に...
長府の功山寺(2)「七卿潜居」
文久3年8月、京都の政変により追われた三条実美ら七卿が五卿となり、一時この功山寺書院に滞在したという「七卿潜居の間」があります。書院七卿潜居由来 文久三年(1863)八月の政変によって朝議は公武合体の方針をとり、尊攘派の長州は皇居護衛の任を解かれ、ために三条実美ら尊皇派の七卿を奉じて山口に帰った。 翌元治元年第一回長州征伐の恭順講和の条件として当時五卿となっていた三条卿らを太宰府に移すことになった...
七卿落ち(7)延寿王院
太宰府天満宮の参道を進むと、突き当たったところに延寿王院があります。延寿王院は、太宰府天満宮が安楽寺天満宮と呼ばれていたときの宿坊で、現在は太宰府天満宮の社家・西高辻家の邸宅となっています。1865年(慶応元年)2月には三条実美、三条西季知、東久世通禧、四条隆謌、壬生基修の五卿が3年に渡って滞在しました。三条実美の滞在時には、西郷隆盛、高杉晋作、中岡慎太郎、田中光顕、土方久元、佐々木高行、大山巌、村田新...
七卿落ち(4)三田尻御茶屋 英雲荘
三田尻は、萩城下唐樋から三田尻御茶屋まで続く萩往還の終点であり、大名の参勤交代の道として整備され、多くの人々に利用されました。三田尻御茶屋(みたじりおちゃや)は、江戸時代、承応3年(1654)萩藩2代藩主・毛利綱広によって建てられた長州藩の公館で、藩主の参勤交代や領内巡視時の休憩、また迎賓に使われていました。7代藩主の重就は、家督を譲って隠居した翌年の1783年(天明3年)に大規模な改築を行い、大観楼などの建...
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