FC2ブログ

大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [木戸孝允(桂小五郎) ] 記事一覧

萩紀行(47)木戸孝允旧宅地

萩市呉服町に、木戸孝允旧宅地があります。木戸孝允(桂小五郎)の生まれてから江戸に出るまでの約20年間を過ごした木造瓦葺の2階建て、瓦葺きの家です。12部屋の家には、誕生の間や幼少時代の手習いの書を表装した掛け軸、写真などが展示されています。孝允は1833年(天保4)に長州藩医・和田昌景の長男として生まれ、7歳のときに桂家の養子となりますが、実家のこの家で育ちました。通称・桂小五郎。藩校明倫館に通い吉田松陰の...

木戸孝允の神道碑(勅撰碑)

京都東山の京都霊山護国神社墓所での階段を上ると、すぐ正面に見えてくるのがこの木戸孝允の神道碑(勅撰碑)です。神道碑は国家に功績のあった人物の墓所参道に建てられる碑で、その人物を顕彰する役割を持つそうです。明治維新以降、大久保利通・毛利敬親・大原重徳・岩倉具視・広沢真臣・島津久光・三条実美・木戸孝允の神道碑が明治天皇の命により建立されました。明治天皇の勅命により建立されたことから「勅撰碑」とも呼ばれ...

潜伏生活を強いられた桂小五郎

禁門の変後、幾松や対馬藩士・大島友之允の助けを借りながら、潜伏生活を余儀なくされた桂小五郎。会津藩などによる長州藩士の残党狩りが行われ、京都での潜伏生活が難しくなり、但馬の出石へと潜伏の場所を移します。その後、高杉晋作が下関で挙兵すると、藩のリーダーとして藩政を仕切り、薩長同盟を成立させ、倒幕へと導いて行きます。河原町丸太町バス停から約5分のところに、お宿「いしちょう」と旅館・石長松菊園があります...

勤王の志士たちの密議の場(4)吉田屋跡

京都市上京区中之町、山紫水明処から少し北に行ったところに、吉田屋跡と立命館草創の地の石碑があります。ここはかつて、三本木という花街だったところで、慶応3年(1867)薩摩藩と土佐藩の間で「薩土盟約」が締結されました。土佐藩の後藤象二郎や薩摩藩の小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通らが集まって、龍馬も同席のもと会合が行われたのが、料亭「吉田屋」です。その後料亭・清輝楼となり、そこを仮校舎として学校を始めたのが現...

桂小五郎・幾松の寓居跡

「幾松」は、桂小五郎(木戸孝允)と芸妓・幾松(後の松子夫人)の木屋町寓居跡です。小五郎の没後は、松子夫人が住んでいたといい、今は幾松という料理旅館になっています。池田屋事、禁門の変以降、長州藩が朝敵とされ、小五郎は幕府に追われる身となり、二条大橋周辺に乞食の姿となって隠れ潜んでいたところ、幾松はよく握り飯を持っていったというエピソードが有名です。FC2ブログランキングに参加しています。クリックよろし...

左サイドMenu

プロフィール

しずか

Author:しずか
毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

大河ドラマに恋して - にほんブログ村

最新記事

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

光 (3)

FC2カウンター

オンラインカウンター

現在の閲覧者数:

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
学問・文化・芸術
53位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
歴史
15位
アクセスランキングを見る>>

アクセス解析