Category [木戸孝允(桂小五郎) ] 記事一覧
安部家本陣跡(山口市)
山口市の中心商店街(西門前商店街~道場門前商店街~米屋町商店街~中市商店街~大市商店街~駅通り商店街~新町商店街)は、萩往還中にあるため江戸時代参勤交代の道でした。当時、参勤交代時に本陣として、御三家と言われる三つの家が使われていました。そのひとつである安部半右衛門宅は、山口の脇本陣として、毛利藩主一族の宿所にも使用されていました。1867年(慶応3)、木戸孝允、広沢真臣、伊藤博文、品川弥二郎らは、山口...
萩紀行(62)梅屋七兵衛旧宅
梅屋七兵衛は幕末の商人で、代々浜崎町で北国問屋を営む家に生まれ、七兵衛の代には酒造業を始め、藩の武具方の用達も行っていました。この狭くて長い通路を抜けて・・・七兵衛は木戸孝允などの志士と交流があり、藩の密命を受け、長崎に鉄砲千丁を買い付けに行き、イギリス人と鉄砲を買う契約を結びましたが、長崎奉行に見つかり、上海に逃れて1年間暮らしたこともあったそうです。その後、七兵衛は鉄砲千丁とともに帰国。この鉄...
瓦屋跡
松田屋ホテルのちょうど裏側に「瓦屋跡」の碑があります。瓦屋は幕末から明治初期にかけて、木戸孝允(桂小五郎)など維新の志士たちが利用した旅館です。松陰門下生の山田顕義の妻は瓦屋の娘です。山田 顕義山田 顕義(やまだ あきよし、天保15年10月9日(1844年11月18日) - 明治25年(1892年)11月11日)は、日本の江戸時代末期(幕末)の武士(長州藩士)、明治時代の政治家、陸軍軍人。諱は顕孝、のち顕義と改めた。幼名は市之...
木戸孝允旧邸跡と木戸神社
木戸孝允旧邸跡木戸孝允は、慶応年間にここに本邸を新築し、山口藩庁政治堂に通っていました。当時の家は瓦葺の平屋で、広さは約80平方メートルで四間ぐらいのもので、大正になって約100メートル東側に建て替えられました。当時ものとして、石垣と南側にある裏門が残っています。木戸神社明治10年(1877年)、木戸孝允は死に臨んで「山口の糸米(いとよね)村にある木戸家の旧宅・田畑・山林を糸米村へ寄付し、子弟の学資に充当する...
香山公園(3)枕流亭(ちんりゅうてい)
薩長連合結成の密議のため、慶応3年(1867)9月薩摩藩の重臣・小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通、らが山口を訪れた際に、当時道場門前にあった安部半助方の枕流亭の2階で長州方の木戸孝允、品川弥二郎、伊籐博文、広沢真臣らと会見し、盟約が成立し、幕府を倒す連合討幕軍の結成を誓いました。枕流亭は、その後2、3度移築され、近年修理されて香山公園内に移されました。自由に建物の中を見学できます。二階へ上がります。当時この...
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