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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [吉田松陰 ] 記事一覧

萩紀行(54)明倫館 吉田松陰先生講学の跡と村田清風の碑

水練池の横に、吉田松陰先生講学の跡碑が建っています。松陰没後100年目に当たる昭和33年に、明倫小学校が建てたものだそうです。松陰は6才で、山鹿流の兵学を教える吉田家を継ぎました。天保10年(1839)松陰は兵学師範として、10歳から20歳までの10十年間、当時は萩城三の丸にあった明倫館で教授として出仕していました。実際は、松陰がまだ子供だったので、松陰は教授見習いのような形で、門人が兵学の講義のアシスタントをしてい...

吉田松陰を処刑した山田浅右衛門が眠る勝興寺

四谷にある勝興寺は、死罪執行の首切り人で「首切り浅右衛門」といわれた山田浅右衛門ゆかりの寺です。本堂の左右にある6代目山田浅右衛門吉昌(よしまさ)が寄進した天水桶。側面に「山田朝右衛門吉昌」の文字が読み取れます。「浅」が「朝」になっていますが、6代目は「朝」で書かれることが多いそうです。また、墓地入り口右側に、7代目山田浅右衛門吉利(よしとし)の墓があります。この吉利という方が、吉田松陰や橋本左内の...

幕末の志士たちが眠る回向院・靖国神社

南千住の回向院には、桜田門外の変で処刑された水戸藩士たちの墓、滝本いのの顕彰碑、坂下門外の変で処刑された志士たちの墓があります。左側が桜田門外の変、右側が坂下門外の変で亡くなった志士の墓その奥に吉田松陰の墓があります。ここで、水戸藩士の紹介を。関 鉄之介幕末の勤王志士で、水戸藩士。桜田門外の変における実行部隊の指揮者で、桜田十八士の一人。水戸藩士・関新兵衛昌克の子として、水戸上町馬喰町片町に生まれ...

桜山神社招魂場の松陰の墓

下関の桜山神社は、高杉晋作の発起により創建された日本初の招魂社で、境内には吉田松陰・高杉晋作をはじめ無名の志士まで、身分制度に関わらず平等に祀られています。この考えが靖国神社のもとになったといわれています。桜山招魂場碑高杉東行狂生書の碑慶応元年8月9日。招魂社新築落成祭典の日に感慨を詠んだ歌の自筆が、刻されたものです。招魂場霊標長州藩士391名の霊が祀られています。正面には吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞...

吉田松陰が最初に葬られた墓・小塚原回向院

東京都荒川区南千住五丁目にある回向院は、過去は両国回向院の別院でしたが、現在は独立しています。正称は豊国山回向院。小塚原回向院とも呼ばれています。小塚原の刑場跡1651年(慶安4年)に新設された小塚原(こづかっぱら、こづかはら)刑場での刑死者を供養するため、1667年(寛文7年)に本所回向院の住職弟誉義観(ていよ・ぎかん)が常行堂を創建したことに始まるとされています。小塚原の刑場は、寛文7年(1667)以前に浅...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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