Category [坂本龍馬 ] 記事一覧
龍馬とお龍も訪れた巌流島
慶応3年(1867)春、下関(本陣 伊藤邸)に世帯を構えた坂本龍馬とお龍が、ある夜、巌流島にこっそりと渡り、花火を打ち上げたと、後年、お龍が語っています。巌流島は、関門海峡に浮かぶ周囲約1.6kmの小さな島で、正式な島の名前は船島。現在は、海沿いの散策道なども整備され、多くの観光客が訪れています。慶長17年(1612年)4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘したことで有名ですね。ちなみに、巌流島はアントニオ猪木と...
本陣 伊藤邸跡
伊藤家は参勤交代時の大名宿となる本陣を務めた名家でした。幕末の当主は、シーボルトや坂本龍馬との親交が篤く、慶応3年(1867)から龍馬とお龍は伊藤家の一室を「自然堂」を借り、短いながらも幸せな日々を過ごしました。 龍馬が京都で暗殺された時もお龍はここに滞在したといいます。昭和20年の戦災で建物は貴重な資料とともに焼け、現在は「本陣伊藤邸址」の碑があるのみです本陣 伊藤邸跡 伊藤家は鎌倉時代から続く下関屈指...
下関市立長府博物館
功山寺に隣接する下関市立長府博物館は、昭和8年(1933年)10月に長府藩報國隊士であった桂弥一が長府尊攘堂を設立したのが前身で、昭和55年(1980年)4月に下関市に移管し、下関市立長府博物館となりました。平成11年(1999年)6月には、博物館本館(旧長門尊攘堂)が国の登録有形文化財となっています。和同開珎遺物をはじめ、長府毛利家遺品、坂本龍馬の「新政府綱領八策」、龍馬愛用の飯碗と湯呑、白石正一郎の日記、パリから里帰り...
幕末維新ゆかりの地(14)坂本龍馬・中岡慎太郎など幕末志士葬送の道
霊明神社から参道の坂を下がると、マンションの前に石碑を見つけました。見たところ新しい碑のようです。碑文を見ると…今から5年前の2010年に建てられたのですね。この道は、初めて通ったので、この碑の存在をまったく知りませんでした。 この道は、当地の東突当たりにある霊鷲山正法寺の参道です。「霊山正法寺道」などといいます。その境内に、文化6年(1809)、地下(六位以下の貴族)の村上都愷が霊明社(現霊明神社)を...
幕末維新ゆかりの地(13)霊明神社
霊山博物館から、正法寺へ向かうと、参道の左側に霊明神社があります。霊明神社は、明治維新以前は広大な境内を持つ尊王派の志士達の聖地であり、坂本龍馬をはじめ多くの志士たちを神道式で葬る祭祀が行われていましたが、明治政府の意向で、霊山護国神社に墓地の管理を移したそうです。1864年、長州の久坂玄瑞は、先祖永代供養を任せる。池田屋事件で暗殺された吉田稔麿が埋葬される。1867年、近江屋事件で京都見廻組により暗殺さ...
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