Category [西郷隆盛(八重の桜) ] 記事一覧
上野の西郷隆盛像
西郷隆盛の銅像といえば、上野の西郷さんが有名ですよね。上野恩賜公園の西郷隆盛の銅像の作者は高村光雲で、明治31年12月18日に除幕式が行なわれました。敬天愛人 西郷隆盛と銅像の由来 西郷隆盛は文政10年(1827年)12月7日薩摩藩士として鹿児島加冶屋町に生まれた。通称吉之助、南州はその号である。 若くして、藩主島津斉彬に重用され、幕末内外多難の際、大いに国事に奔走したが、これに関連して奄美大島に流される...
西郷隆盛
(西郷の親戚を参考に想像で描写したもの)1827年~1877年。薩摩藩の下級武士・西郷吉兵衛隆盛の長男として鹿児島城下に生まれました。藩主・島津斉彬に認められ重用されますが、斉彬が急死すると、絶望して鹿児島錦江湾に僧・月照と投身自殺。しかし、西郷のみ助かり、奄美大島に流されます。その後、復帰しますが、島津久光と折り合いが悪く、再び沖永良部島に流されてしまいます。後に小松帯刀や大久保利通の働きで復帰。軍賦役...
清閑寺の大西郷月照王政復古謀議旧跡
東山にある真言宗の清閑寺は、平家物語の高倉天皇と小督局ゆかりの寺ですが、また西郷隆盛と成就院の僧・月照が密議を交わした場所でもあります。安政の大獄で月照が追われた際、鹿児島の錦江湾でともに入水自殺しましが、西郷のみ奇跡的に助かりました。境内には、大西郷月照王政復古謀議旧跡の碑があります。清閑寺は、幕末に清水寺成就院住職の月照上人と西郷隆盛がしばしば勤王の誅議をした所で、安政5年(1858)月照が水戸藩...
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