大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [豊臣秀吉 ] 記事一覧

豊臣秀吉ゆかりの目刺橋

鎌研池から「目刺橋」へ。松下屋敷に奉公していた頃の若き日の藤吉郎(後の豊臣秀吉)が、メダカの眼をめがけ、松葉を投げて手裏剣の練習をしていたことから、片目のメダカが現れるようになったいう伝説があります。目刺通り目刺橋にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...

秀吉ゆかりの鎌研池

松下屋敷跡北方の天白神社には、豊臣秀吉ゆかりの「鎌研池」(かまとぎいけ)も残っています。天白神社鎌研ぎ池豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と言った少年の頃、この地を訪れ頭陀寺城主の松下嘉兵衛之綱に身をよせて、天文22年3(1533)より永禄元年4月(1558)の間、下僕として奉公した。この時馬草を刈るのに池のはたで鎌を研ぎ試し切りのために池に生えた葦の片方へ出ている葉のみを切ったので、それから片葉の葦が生えるようになっ...

高松神明神社(1)高松殿跡

平安時代、ここには醍醐天皇の皇子である源高明の邸宅「高松殿」があったとされ、鳥居の前に「高松殿」の碑があります。その高松殿内に伊勢から天大神を勧請して祀った鎮守社が「高松神明神社」の起こりとされています。平安時代の末期に起こった「保元の乱」では、ここが後白河天皇の本拠地となって、平清盛や源義朝らが集結、崇徳上皇の白河北殿へ攻め込みました。また、「平治の乱」により高松殿は焼失、神社のみが残る形となり...

大阪城と豊臣時代の石垣の遺構

大阪城は、豊臣秀吉によって築かれ、豊臣氏の本拠となりました。豊臣氏滅亡後は、徳川幕府によって再建され、現在は、「大坂城跡」として国の特別史跡に指定されています。豊臣時代の大天守は、外観5層で、鯱瓦や飾り瓦、軒丸瓦、軒平瓦などに黄金をふんだんに用い、奥御殿の内部もまた金銀の装飾に溢れ、大坂城を訪れた大友宗麟は、あまりの豪華さに驚き、「三国無双の城である」と称えたといいます。しかし、秀吉の大阪城は、大...

方広寺の遺構が残る京都国立博物館の平成知新館

京都国立博物館の平成知新館は、昭和41年に建てられた平常展示館をリニューアルしたもので、2014年9月に開館しました。設計は、谷口吉生氏。ニューヨーク近代美術館 新館、東京国立博物館 法隆寺宝物館、豊田市美術館などを手がけた世界的建築家です。庭を眺望できるレストラン広々としたロビーや展示場は解放感があって、ゆったりとできる空間です。庭園には噴水もあります。この噴水の辺りに、あの問題の方広寺の鐘があったそう...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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