Category [槙村正直 ] 記事一覧
都をどり
(画像:Wikipedia)都をどりは、明治5年、東京遷都で衰退した京の街の活性化と景気回復のために開かれた「第一回京都博覧会」の余興の「付博覧会」の催し物の一つとして企画されたのが始まりです。発案者は槙村正直。自らも「都踊り十二調」という詞章を作りました。また、当時新進であった井上流家元、井上八千代(三世 片山春子)が伊勢古市の亀の子踊り(伊勢音頭の総踊り)を参考に振付を担当しました。都をどりは原則として...
槇村正直がつくった新京極
京都の新京極通は、1872年に京都府参事・槇村正直によって作られた通りです。豊臣秀吉の都市改造でつくられた隣の寺町通に集まる寺院の境内が、縁日の舞台として利用され、人が多く集まったため、各寺院の境内を整理し、寺町通のすぐ東側に新しく道路を造ったのが新京極通のはじまりで、明治の中頃には見世物小屋や芝居小屋が建ち並びました。 北は三条通から南は四条通に至る約5百メートルのこの通りを新京極通といい、通り名は...
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