Category [黒田重隆 ] 記事一覧
広峯神社
姫路市の広峯神社は、奈良時代、吉備真備の進言により造営されました。(画像:Wikipediaより)平安時代、都で疫病が流行り、それを治めようと、広峯神社の分霊を京都・祇園の八坂神社に移したところ、疫病が鎮まったといいます。それゆえ、広峯神社は、祇園本社と呼ばれるようになり、祇園祭のルーツも広峯神社にあるそうです。官兵衛の祖父・黒田重隆は備前・福岡から姫路に移り、広峯神社の御師(おし)が配る神符(おふだ)とと...
黒田家廟所(御着)
目薬を売って財を成し、土地を得、多くの郎党を抱えるようになった官兵衛の祖父・黒田重隆は、有力な土豪へと成長します。はじめ竜野城主赤松政秀に仕えましたが、ほどなく御着城主・小寺政職に仕えるようになり、重用され、姫路城の城代となりました。その後、重隆によって姫路城の修築が行われたと考えられています。姫路市御国野町御着にある御着城跡の一角に黒田家廟所があります。官兵衛の祖父・黒田重隆と生母・明石氏を祀る...
官兵衛の祖父・黒田重隆と目薬
官兵衛の曾祖父・高政の死後、嫡男・重隆が後を継ぎました。重隆の亡くなる前年、播磨から迎えた夫人との間に、満隆(のちの職隆)が誕生しましたが、播磨・備前・美作の守護であった赤松氏と家臣の浦上氏との争いが福岡に及ぶようになり、重隆は満隆を連れて、姫路に移ります。御着城跡公園にある目薬の木官兵衛の祖父・重隆の代に黒田家は備前・福岡から姫路に移りましたが、その時は経済的に豊かではなく、住まいも小さな農家を...
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