Category [光 ] 記事一覧
京都の黒田家ゆかりの報土寺と報恩寺
仁和寺街道にある上京区にある報土寺は、非公開の寺院ですが、官兵衛の正室・光姫(照福院) のお墓があり、照福院の肖像画を所有しているそうです。表門と本堂が重要文化財になっている報土寺は浄土宗で,貞観元年(859)に行教が真言宗の寺として創建したと伝えられています。応仁の乱のあと永禄2年(1559)に相国寺の傍で再興されて浄土宗の念仏道場として栄えましたが,寛文3年(1663)に現在の地へ移りました。本堂は正面7間...
福岡めぐり(7)光姫ゆかりの圓應寺
慶長2年(1597年)7月、黒田熊之助は、豊前中津城で留守中、兄の長政の朝鮮出兵に加われなかった事を嘆き、兄の陣中見舞いの名目で、中津から朝鮮半島へ渡る途中、船が嵐に遭い転覆し、玄界灘で行方不明となり、一緒に船出した家臣の子、母里吉太、黒田吉松、木山紹琢の三人とともに、溺死したとみなされました。熊之助はわずか16歳でした。1602年、黒田官兵衛の夫人・光姫(照福院殿)は圓應寺を開基、天蓮社眞譽上人見道大和尚を...
官兵衛の妻・光(てる)
播磨国印南郡(現在の兵庫県加古川市志方町)の志方城主・櫛橋伊定の娘。小寺政職の従姪であり養女。櫛橋伊則、櫛橋則政、赤松政範室の妹で、井上之房室の姉。本名は光(みつ)。法号は照福院(しょうふくいん)。雅号は幸圓(こうえん)。1567年(永禄10年)、官兵衛の妻となります。この時、光は15歳、官兵衛は22歳。櫛橋伊定は、早くから官兵衛の将来性に目をつけていたといい、結婚の一年前に赤合子の兜と胴丸具足を官兵衛に贈...
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