Category [栗山善助 ] 記事一覧
中津めぐり(7)栗山利安ゆかりの和菓子屋さん
黒田家筆頭家老・栗山利安(善助)の子孫の方が営む老舗和菓子店「栗山堂」さんです。中津に行ったら必ず寄ろうと心に決めていました。店内に入り、外郎饅頭と兜型の最中「兜」を注文。ばら売りもしてくれます。私が訪ねた時、ちょうど店先に現店主がいらっしゃったので、店内の写真を撮影許可を取って、写させていただきました。説明付きの栗山利安の肖像画これは、お店の外側にあります。お店のガラス戸には「軍師官兵衛のポスタ...
手柄の栗山善助屋生誕地
一年近くに及ぶ有岡城土牢の幽閉からようやく官兵衛が救出されました!その時、活躍した家臣といえば・・・栗山善助です!善助は、商人に身をやつして城内に潜入し、有岡落城の混乱に乗じて官兵衛の救出に成功しました。ということで・・・今年の3月末、姫路市手柄を再度訪れました。手柄の灘菊酒造のある場所は、黒田八虎のひとり、官兵衛が最も信頼を寄せたという黒田家筆頭家老・栗山善助の生誕地といわれています。実は、前回...
栗山善助の屋敷跡・灘菊酒造
姫路市手柄の灘菊酒造のある場所は、黒田八虎のひとり、官兵衛が最も信頼を寄せたという黒田家筆頭家老・栗山善助の生誕地といわれています。 この地は今でも栗山町という地名が残っています。古い酒蔵群は、現在は使われてなく、見学施設に利用されています。釜場昭和30年までお米を蒸していた場所。昭和30年まで蒸した酒米をござに広げて冷ましていた場所。現在は酒造りの道具や木製の樽、昔の帳面などを展示しています。中蔵西...
官兵衛の忠臣・栗山善助
永禄5年(1562年)、小寺政職の近習となった官兵衛は、父・職隆と共に浦上氏を相手に戦い、17歳で初陣を飾ります。その後、武将としての才覚、家臣への気配りなど官兵衛は評判を上げ、永禄8年(1565年)、播磨出身、15歳の栗山利安(通称:善助)が仕官してきました。黒田二十四騎、黒田八虎の一人。後に黒田家筆頭家老となります。青山の戦いで初陣、首2つを挙げる快挙を成し遂げ、有岡城の戦いでは、官兵衛が幽閉されると、何度も...
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