Category [竹中半兵衛 ] 記事一覧
竹中半兵衛ゆかりの地(7)禅幢寺
竹中陣屋からさらに自転車を走らせて、禅幢寺へ。薩摩の金鐘寺正磧和尚(しょうせきおしょう)が当地に来て開基となりました。永禄元年(1558)竹中氏が6000貫の領主となります。永禄元年(1558年)、半兵衛は、父とともに、敵対する岩手弾正道高を攻め、岩手城(岐阜県不破郡垂井町)を手に入れ、新たに菩提山城を築いて居城としました。永禄3年(1560年)、父の死去または隠居(一説に父の死去は永禄5年(1562年)とも)により家督を...
竹中半兵衛ゆかりの地(5)菁莪記念館
陣屋跡の南にある菁莪記念館には竹中氏ゆかりの品々が展示されています。岩手の旗本竹中氏は天保年間に道場菁莪堂をつくり、明治時代に菁莪義校、菁莪学校として発展しました。入場は無料ですが、開館は午後2時~5時までなのでお気を付け下さい。記念館の入り口に、菩提山城ハイキングコースの案内板がありました。ここから山頂まで1時間10分だそうです。 兵庫のお城をめぐるブロガー紀行FC2ブログランキングに参加しています。ク...
竹中半兵衛ゆかりの地(4)竹中氏陣屋
五明稲荷神社から竹中陣屋跡へ。竹中氏陣屋は、竹中半兵衛の子・竹中重門が築いたもので、安土桃山時代には岩手城と呼ばれていましたが、半兵衛の代まで竹中氏の居城は、菩提山城でしたが、山城で不便なことから、麓に陣屋を築いたのだそうです。江戸時代に竹中氏が旗本身分に留まったため城は「陣屋」と呼ばれるようになりました。現在は、白壁の櫓門、水堀の一部分、石垣の一部分が残っており、竹中半兵衛の像が建てられています...
竹中半兵衛ゆかりの地(3)五明稲荷神社
岐阜県垂井町は、大垣市や岐阜市のベッドタウンで、美濃国の国府趾の所在地としても有名でです。垂井でもレンタサイクルで回りました。土日祝はこちらで平日は町役場で借りられます。途中、みゆき橋を渡る際、鯉のぼりの大群を発見!これだけ並ぶと見事ですね。向かう先に見えてるのが、菩提山。半兵衛の父・重元は、岩手城主・岩手弾正を攻略し、菩提山に城を築いて居城とし、永禄3年(1560年)、半兵衛が家督を相続し、菩提山城主...
竹中半兵衛ゆかりの地(2)半兵衛の父・竹中重元の墓
八幡神社より数百mほど北上すると、右手に↓の案内板と月真寺があります。月真寺の西側に大御堂城があったとされ、境内には竹中重元、加藤平内の墓があります。月真寺本堂この辺りは、大御堂城の搦手曲輪跡だとされています。竹中重元の墓竹中氏の先祖は、大野郡大御堂の出身で、土岐氏に仕えていました。半兵衛の父・竹中重元は、明応6年(1497年)に誕生。土岐氏の滅亡後は、斎藤氏の家臣として仕えました。斉藤道三に重用され、大...
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