大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [明智光秀 ] 記事一覧

明智光秀ゆかりの光秀饅頭

この明智光秀の首塚・光秀塚のすぐ近くにある和菓子屋「餅寅」の川嶋家が代々お守りしています。こちらでは、光秀饅頭が売られています。黒糖と抹茶の二種類あり、「桔梗」の家紋が刻印されていています。黒糖の方は、つぶあん、抹茶の方は白味噌餡が入っていました。店頭に光秀饅頭が並んでいるところを撮影させていただきました。女将の川嶋さんは、とても気さくな方なんですよ。光秀塚にお参りした後は、光秀饅頭をお土産に!「...

明智光秀の首塚

昨年秋、東山区梅宮町の「明智光秀の首塚」へ行って来ました。通称「光秀塚」とも呼ばれています。白川沿いを歩いて行くと、白川橋を南に下がった東側に「東梅宮 明智光秀墳」の石碑が見えてきます。ここを入るとすぐ左手に首塚があります。光秀の首は発見した百姓により翌日、村井清三を通じて信孝の元に届き、まず本能寺でさらされ、その後17日に捕まり斬首された斎藤利三の屍とともに京都の粟田口に首と胴をつないでさらされた...

山崎の戦い

6月12日、官兵衛は秀長とともに天王山の東麓に布陣。円明川を挟んで斎藤利三、阿閉貞征ら明智光秀軍と対峙。13日夕刻、光秀軍先鋒が官兵衛らの部隊を攻撃し、「山崎の戦い」がスタート!官兵衛らは反撃を開始し、秀吉軍が光秀軍を包囲する形になりました。光秀は、勝竜寺へ退却し、籠城戦になると思われましたが、城の北方(丹波方面)だけわざと手薄にしておけば、士気の低下した光秀軍の将兵たちが逃げていくだろうという官兵衛...

明智光秀が本陣を構えた勝竜寺城跡

勝竜寺城は、現在の京都府長岡京市勝竜寺にあった城で、細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城として知られています。天正6年(1578年)8月、細川藤孝の嫡男・忠興と明智光秀の娘・お玉(細川ガラシャ)がこの城で結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされ、後年の山崎の合戦では明智光秀がここに本陣を構えました。細川藤孝は天正9年(1581年)に丹後に入封し、代わって村井貞勝の家臣矢部善七郎、矢部猪子兵助の両名が城主となったが...

明智軍を阻んだ山岡景隆

近江の瀬田城は、瀬田川東側に軍事上の目的で築城された城で、急がば回れ」の語源ともなったという瀬田川に架かる瀬田橋は、戦国時代は交通・軍事上の重要戦略拠点であり、その瀬田橋のたもとにあった瀬田城も重要な位置を占めていました。 瀬田の唐橋 瀬田城は、永享年間(1429~1441年)の山岡資広(すけひろ)から、代々山岡氏が城主を務め、山岡景隆は、瀬田橋を守る城主として織田信長からの信頼が厚く、信長は上洛のたびに瀬...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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