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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「光る君へ」「どうする家康」「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [徳川家康公没後四百年 ] 記事一覧

徳川家康ゆかりの史跡めぐり(17)浜松城の天守門

明治時代に取り壊された天守門が、発掘調査で見つかった礎石や、1絵図などをもとに、2014年(平成26年)3月に復元されました。天守門  浜松城の第二代城主、堀尾吉晴は城の中枢である天守曲輪に天守を建築したと言われているが、この天守は古図などの資料から、江戸初期には喪失していたと考えられる。天守曲輪入口の天守門は幕末まで維持されたが、明治6年(1873)に解体され、払い下げられた。「安政元年(1854)浜松城絵図」...

徳川家康没後400年記念特別展 大関ヶ原展

江戸東京博物館で開催中の「徳川家康没後400年記念特別展 大関ヶ原展」に行って来ました。2015年は、元和2年(1616年)に亡くなった家康の没後400年目にあたることを記念して、催されたものです。『関ヶ原合戦画屏風』『関ヶ原合戦絵巻』、徳川家康と徳川四天王(酒井家、本多家、榊原家、井伊家)の具足、石田三成の愛刀『石田正宗』、島左近の兜など、合戦に参加した武将たちの武具、関ヶ原合戦前日に密約を交わした誓約書など...

徳川家康ゆかりの史跡めぐり(16)浜松城の歴史

浜松城の前身は引馬(曳馬)城といい、1560年、今川義元が桶狭間で織田信長に討たれた後、徳川家康が引馬城を攻め落としました。1570年、岡崎城を息子の信康に譲り、曳馬城に入城。しかし、引馬という名は馬を引く=敗北を思わせ、縁起が悪いということで、浜松荘と呼ばれる荘園から名をとり、城名・地名を「浜松」としました。また、遠州を支配するには手狭だったため、改修を加えて引馬城の西南に浜松城を築城。以後、静岡の駿府...

徳川家康ゆかりの史跡めぐり(15)二俣城跡

天竜浜名湖鉄道駅の天竜二俣駅から西に800m歩いた丘の上に、二俣城があります。二俣城は、天竜川と二俣川に挟まれた山城で、戦国時代には武田信玄・勝頼親子と徳川家康がこの城を巡って激しい攻防を繰り広げました。天正3年(1575)5月、長篠の戦いで勝利を得た徳川軍は、武田勢を一掃するため、二俣城の攻撃開始。鳥羽山に本陣を置き、二俣城を包囲し、ついに武田軍から城を奪還しました。そして、二俣城には大久保忠世が入城し、...

徳川家康ゆかりの史跡めぐり(14)中村家住宅 結城秀康の胞衣塚

浜松市雄踏町の中村家住宅の庭に、結城秀康の胞衣塚が残されています。1574年2月8日、徳川家康の次男(幼名・於義丸、後の結城秀康)がこの中村家で生まれました。母親は家康の側室・お万の方で、出産時の胞衣をこの胞衣塚に埋めたといいます。また、胞衣塚上の梅は家康のお手植えと伝えられ、数代を経ているそうです。1884年、越前松平一門家が塚の由来を記した胞衣塚碑を建立しました。中村家住宅胞衣塚家康お手植えの梅胞衣塚が...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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