Category [徳川家康公没後四百年 ] 記事一覧
元城町東照宮(引間城本丸跡)の家康&秀吉像
元城町東照宮(引間城本丸跡)に、徳川家康と豊臣秀吉のブロンズの「二公像」が昨年12月にお目見えしたということで、早速出かけて来ました。元城町東照宮は、浜松城やホテルコンコルド浜松のそばにあります。明治19年旧幕臣・井上延陵の発起により創建されました。石の鳥居の横には「曳馬城跡」(引馬城址)と書かれた石碑があります。こちらは、家康を祭神としている社で、社殿の扉や屋根には三つ葉葵の紋所が見られます。引馬城...
徳川家康ゆかりの史跡(21)八柱神社の築山御前の首塚(岡崎)
岡崎市欠町石ヶ崎の八柱神社には、徳川家康の妻であった築山御前の首塚があります。築山御前は、今川方の出身であり、織田信長に武田方と内通しているとのとの嫌疑をかけられ、殺害されてしまいました。八柱神社拝殿八柱神社本殿築山御前首塚 築山御前は関口刑部少輔義廣殿の御息女瀬名姫で今川義元の養女になり家康公の御正室になられました。長男の岡崎三郎信康公は織田信長公の御息女徳姫を御正室に迎へられましたので母と嫁は...
徳川家康ゆかりの史跡めぐり(20)若宮八幡宮 松平信康の首塚(岡崎)
愛知県岡崎市朝日町にある若宮八幡宮には、徳川家康の長男・松平信康の首塚があります。信康は、永禄2年(1559)3月6日、駿府で生まれました。今川氏の人質として幼少期を駿府で過ごし、桶狭間の戦いの後に徳川軍の捕虜となった鵜殿氏長・氏次との人質交換により岡崎城に移ります。永禄10年(1567)織田信長の娘・徳姫と結婚し、家康が浜松城に移った元亀元年(1570)に岡崎城主になり、祖父・松平広忠同様に岡崎三郎と名乗りました。信...
徳川家康ゆかりの史跡めぐり(19)馬冷(うまびやし)
浜松城から近くの松城町の「松城緑地」と書かれた小さな公園に「馬冷」(うまびやし)と書かれた杭が立っていてます。ある日の戦いで、大汗をかいた徳川家康の馬を冷やした池がこの地にありました。家康が浜松城にいたころは戦いの連続で、ある日激しい戦いが終わって城に戻ると、家康も馬も大汗をかいていました。そこで清水の流れを止めて作った池で「馬の体を冷やせ」と家康は家来に命じたたことからこの地を「うまびやし」と呼...
徳川家康ゆかりの史跡めぐり(18)浜松城 家康の銅像~本丸~二の丸
浜松城天守門をくぐり、本丸跡へ桜の向こうに見えるのは、浜松市役所です。天守門を見上げると・・・本丸跡二の丸跡徳川家康の銅像銅像の周りは、お花見の一番人気のスポットです。FC2ブログランキングに参加しています。クリックよろしくお願い致します。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女...
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