Category [吉田稔磨 ] 記事一覧
三条大橋擬宝珠刀傷跡
池田屋事件で付いたとされる刀傷が、三条大橋の西から数えて2つめの擬宝珠にあるというので見て来ました。この駒札は、弥次喜多像の隣りにあります。二つ目というとこれですね。ズームにしてみましょう。う~ん、刀傷といわれればそのような感じですね。ただ、注意してみないと通り過ぎてしまいます。では、三条大橋からの眺めをどうぞ。ここは、数々の歴史の舞台となりましたね。FC2ブログランキングに参加しています。クリックよ...
池田屋騒動址
池田屋騒動跡は、現在は居酒屋「はなの舞」になっています。夜は居酒屋ですが、ランチの営業もやっています。歴史好きにはたまらないこのネーミング!店内はこんな感じです。二階に案内されると、マニアにはたまらない新撰組グッズの展示が私たちが頼んだのは、土方歳三のランチです!天ぷらとお造りがついて、1200円!隊士の名前のついたカクテルも夜にも一度来てみたいです池田屋 はなの舞 ぐるなびHPhttp://r.gnavi.co.jp/k78...
池田屋事変殉難志士墓所跡
元治元(1864)年6月5日の池田屋事件で死亡した尊攘派の吉田稔麿・北添佶摩・宮部鼎蔵・大高又次郎・石川潤次郎・杉山松助・松田重助らの遺体は、三条大橋東の三縁寺に運ばれて葬られました。(彼らは、後の新政府により「殉難七士」と呼ばれるようになります)その後、三縁寺は昭和54年に左京区岩倉花園町に移転する際、池田屋事件殉死者の墓と碑も移されました。三縁寺の旧地(縄手通三条下ル東側)にはこの碑が残されています。 ...
吉田稔麿の墓
吉田稔麿の墓は、京都霊山護国神社・萩市椿東椎原の護国山団子岩・下関の桜山神社・山口の朝日山招魂場の4ヵ所にあります。そのうち、三か所に行って来ました。京都の霊山護国神社長州藩士の墓がずらりと並んでいます。萩市椿東椎原の護国山団子岩吉田松陰生誕地の墓所、吉田松陰の墓のすぐ近くにあります。下関の桜山神社吉田松陰を真ん中に、右が高杉晋作、左が久坂玄瑞、その左に吉田稔麿と続きます。右端が稔麿の墓です。稔麿...
吉田稔磨の最期・加賀藩邸跡
木屋町通御池角に加賀藩屋敷跡があります。最近の説では、長州藩邸に戻っていた吉田稔磨が、池田屋からの脱出者から異変を聞き、池田屋に向かおうとしましたが、加賀藩邸前で、会津藩士に遭遇し、討ち死にしたとされています。 此付近加賀藩邸跡この高瀬川の西側、河原町通にいたる間は、江戸時代、加賀(石川県)藩の藩邸があった。藩邸が初めて置かれたのは、江戸初期で、古絵図には高瀬川の橋に、加賀橋の名が残っている。藩邸...
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