Category [豊臣秀次 ] 記事一覧
豊臣秀次の墓(瑞泉寺)
京都市中京区木屋町三条の瑞泉寺1611年(慶長16)角倉了以が豊臣秀次とその一族の菩提を弔うため建立した寺です。文禄4年(1595年)、秀次は秀吉に謀反の疑いをかけられ、聚楽第の秀次のもとへ石田三成、前田玄以、増田長盛らが訪れ、秀次に対し高野山へ行くように促します。秀次は釈明の為に、秀吉のいる伏見城へ向かいますが、福島正則らに遮られ、秀吉に会うことは叶わず、同日高野山へ入ります。それから1週間後、秀次のもとへ...
豊臣秀次と近江八幡(2)
日牟禮八幡宮の境内を抜けると、八幡山ロープウェイの乗り場に着きます。山麓から山頂へ約4分。あっという間の空中散歩です。標高272mの八幡山は、遠方から眺めると、鶴が翼を広げて飛ぶように見えることから、鶴翼山(かくよくさん)とも呼ばれてきました。おねがい地蔵堂八幡山は、1585年(天正13年)、豊臣秀次が築いた八幡城の城跡で、本丸跡には村雲瑞龍寺が京都から移築されています。瑞龍寺は、秀次の菩提を弔うために生母...
豊臣秀次と近江八幡(1)
数年前、近江八幡の豊臣秀次の史跡を追ってみました。近江八幡駅から、バス大杉町で下車、日牟禮八幡宮へ向かいます。日牟禮八幡宮の鳥居をくぐると、八幡堀があります。秀次が、八幡山に築城した際、城と琵琶湖を結ぶ湖上交通として重要な役割を果たし、昭和初期まで利用されていましたが、幹線道路や鉄道の整備に伴って、その役割を終えました。長い間、荒廃していましたが、市民の運動により、船着場が復元され、今では近江八幡...
瑞泉寺の豊臣秀次の墓
京都市中京区木屋町三条の瑞泉寺1611年(慶長16)角倉了以が豊臣秀次とその一族の菩提を弔うため建立した寺です。文禄4年(1595年)、秀次は秀吉に謀反の疑いをかけられ、聚楽第の秀次のもとへ石田三成、前田玄以、増田長盛らが訪れ、秀次に対し高野山へ行くように促します。秀次は釈明の為に、秀吉のいる伏見城へ向かいますが、福島正則らに遮られ、秀吉に会うことは叶わず、同日高野山へ入ります。それから1週間後、秀次のもとへ...
豊臣秀次と近江八幡(2)
日牟禮八幡宮の境内を抜けると、八幡山ロープウェイの乗り場に着きます。山麓から山頂へ約4分。あっという間の空中散歩です。標高272mの八幡山は、遠方から眺めると、鶴が翼を広げて飛ぶように見えることから、鶴翼山(かくよくさん)とも呼ばれてきました。おねがい地蔵堂八幡山は、1585年(天正13年)、豊臣秀次が築いた八幡城の城跡で、本丸跡には村雲瑞龍寺が京都から移築されています。瑞龍寺は、秀次の菩提を弔うために生母...
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