Category [益田親施 ] 記事一覧
三家老の切腹(1) 益田親施
長州藩士、益田親施(ますだちかのぶ)は、益田家第33代当主、長州藩永代家老で、益田右衛門介として知られています。益田右衛門介肖像(須佐歴史民俗資料館蔵)嘉永2年(1849年)家督を継ぎ、吉田松陰の山鹿流兵学に入門。嘉永6年(1853年)ペリーが浦賀に来航すると、浦賀総奉行として着任。1856年には長州藩の国家老となりました。1858年、通商条約問題が起こると、益田は周布政之助らと共に朝廷の意思に従って攘夷を決行すべき...
七卿落ち(3)七卿を警護した益田親施
八月十八日の政変により、京を追われることになった三条実美をはじめとする尊王攘夷派の7人の公家らは、京都の妙法院に集結した後、兵庫津を経て、海路で長州藩の三田尻港(山口県防府市)を目指したのですが、途上悪天候のため、3隻のうち2隻が徳山藩の徳山港(山口県周南市)に上陸し、ここから陸路、三田尻に向かうことに。七卿らを兵庫まで警護した責任者は長州藩士、益田親施(ますだちかのぶ)でした。親施は、益田家第33代...
最新コメント