Category [毛利秀元 ] 記事一覧
豊功神社(1)長府藩報國隊顕彰之碑
櫛崎城趾の碑から坂を登って行くと豊功神社にでます。明治元年(1868年)、旧藩主毛利家の霊屋として創建。 祭神は応神天皇、武内宿禰(すくね)、大国主大神穂田元清、毛利秀元、毛利光広、毛利綱元、毛利元朝、毛利元矩、毛利匡広、毛利師就、毛利匡敬、毛利匡満、毛利匡芳、毛利元義、毛利元運、毛利元周、毛利元敏歴代の長府藩主を祭神としています。大正6年(1917)6月、長府藩初代藩主・毛利秀元以下を祀った豊功社を忌宮神社境...
櫛崎城址(下関市長府)
下関駅からサンデン交通バスの長府、小月方面ゆきバスに乗車して、松原バス停下車。豊功神社に向かう途中、豊浦高校のグラウンド沿いに櫛崎城址の石垣と案内板があります。 櫛崎城は、関門海峡を望む要衝として、周防灘に突き出した半島の高台に築かれた城で、串崎城、雄山城(かつやまじょう)、長府城、長府陣屋とも称していました。串崎の名は、鎌倉時代の元寇で討ちとった敵兵の首をこの海岸に埋めたことから “首崎” が転化し...
長府の功山寺(4)墓所
功山寺の墓所には、三吉慎蔵、三吉周亮、大内義長、豊永長吉、長府毛利家歴代の墓があります。三吉慎蔵の墓三吉周亮の墓大内義長の墓豊永長吉の墓長府毛利家歴代の墓初代長府藩主・毛利秀元をはじめ、5代 元矩、9代 匡満、10代 匡芳、11代 元義、12代 元運、14代 元敏、15代 元雄、16代 元匡と、その正室や側室などの墓があります。 毛利秀元は元就の孫に当たります。関が原の戦い後、毛利氏の削封に際して長府藩を創設、城下町と...
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