Category [伊東甲子太郎 ] 記事一覧
月真院・御陵衛士屯所跡
京都・高台寺の塔頭の月真院の前に御陵衛士屯所跡の碑があります。新選組を離脱した伊東甲子太郎が、志し同じ者を新選組から引き抜いて組織した御陵衛士は、高台寺・月真院を屯所としたために、「高台寺党」とも呼ばれました。 同志は弟の三木三郎、篠原泰之進、藤堂平助、服部武雄、毛内有之助、富山弥兵衛、阿部十郎、内海次郎、加納鷲雄、中西昇、橋本皆助、清原清、新井忠雄、斎藤一(斎藤は新選組の間諜とも)の計15名。油小...
伊東甲子太郎殉難の地
京都市下京区「油小路七条下る」に、伊藤甲子太郎(いとうかしたろう)が絶命したところとされる本光寺前に「伊東甲子太郎外数名殉難の地」の碑があります。 伊東甲子太郎は常睦(茨城県)の出身で、学問もでき、剣は北辰一刀流の名手であった。 元治元年(1864)に門弟ら七人を率いて新選組に入隊し、参謀として重視された。 しかし、尊王派であった伊東は、次第に隊長近藤勇と相反するようになり、慶応3年(1867)3月に同志15人...
最新コメント