Category [立石孫一郎 ] 記事一覧
倉敷浅尾騒動(2)観龍寺潜り門の槍傷
観龍寺は、岡山県倉敷市にある真言宗御室派の寺院です。慶応2年(1866年)、江戸幕府崩壊前、天領だった倉敷は、長州藩の配下にあった第二奇兵隊の脱走兵約100人が攻め入り、現在の倉敷アイビースクエアにあった倉敷代官所を襲撃したあと観龍寺に陣を張りました。脱走兵は兵糧と軍資金を調達し翌朝には出て行きましたが、左手鴨居門には槍の傷跡が残っています。潜り門の槍傷大師堂本堂2度消失したものの、1749年(寛延2年)に再建...
倉敷浅尾騒動(1)倉敷代官所跡
倉敷には、江戸時代、幕府直轄領(天領)として発展してきた町で、代官が置かれていました。倉敷代官所は、備中、美作、讃岐に散在する幕府天領の年貢米の集散地でした。しかし、慶応2年(1866)4月、長州藩第二奇兵隊幹部の立石孫一郎に率いられて脱走した約100人が倉敷代官所を焼払った倉敷浅尾騒動により、代官所の大部分が火災により焼失しました。倉敷代官所襲撃慶応2年4月10日(1866年5月24日)早暁、強雨の中襲撃、代官所襲撃...
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