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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [真田信繁 ] 記事一覧

両光寺(2)真田信繁の娘を祀る姫塚

さて、私がこのお寺を訪ねた目的とは・・・「わが町文化誌」で紹介された両光寺の姫塚を探すことでした。その姫塚とは、真田信繁(幸村)の九女・阿安姫あやひめ)の墓です。信繁の命を受けた家臣・松沢彦二郎は幸村の九女・阿安姫を伴い海上を経て、苦難の末、佐鳴湖畔の安座に辿り着きました。しかし、阿安姫は熱病に罹りこの地で急逝されたといいます。姫塚  信州上田城主真 田昌幸の次男幸村は、豊臣秀吉に仕え大阪の陣に出...

両光寺(1)

我が家がいつも利用している浜松市中区富塚町の八百屋さんの裏手に両光寺という臨済宗方広寺派の寺院があります。山門本堂秘仏の観音菩薩像は一年に1度、新春大祭の1月5日に開扉されるそうです。鐘楼観音堂稲荷社への階段境内から佐鳴湖が一望できます。こちらのお寺の情報が少なく、縁起などの詳細はわかりませんが、ある目的を持って訪ねました。それは次の記事で紹介します。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加していま...

典厩寺(長野)の武田典厩信繁の墓と真田信繁の供養塔

長野市の典厩寺(てんきゅうじ)には、八幡原の戦いで討ち死にした武田信玄の弟・武田典厩信繁(てんきゅう・のぶしげ)の墓があります。典厩寺はもとは鶴巣寺(かくそうじ)といい、合戦から60年後の承応3年(1654)に松代藩主の真田信之が武田典厩の名をとって寺号を典厩寺と改め、寺領5石の朱印地を給し、信繁の菩提と武田・上杉両軍の戦死者を弔いました。山門典厩寺の山門は、真田3代藩主幸道の霊屋の門を移築したものと伝...

安居神社(2)幸村公ふたたび

安居神社の北側(天神坂側)の入り口安居神社は安居天満宮ともいいます。創建年は不詳ですが、少彦名神と菅原道真を祀っています。道真が大宰府に流されるときに、風待ちのために休息をとったことから、その名がついたという伝承があります。 天王寺七名水の一つ、安居の清水は、「かんしずめの井」とよばれ、有名でしたが、今は枯れてしまい、井戸枠だけが残されています。 幸村公 ふたたび「大坂の陣」で獅子奮迅の活躍をし、「...

安居神社(1)真田幸村終焉之地

大阪市天王寺区の安居神社は安居天満宮ともいいます。安居神社の南側の入口当社は、1615年(元和元年)大坂夏の陣で、茶臼山に陣をしいた真田信繁(幸村)がこの地で戦死したと伝えられています。今年の春、数年ぶりに参拝したのですが、以前より、幟などが立って、賑やかな雰囲気になっていました。信繁はこの樹に寄りかかって休んでいたというさなだ松(2代目)真田信繁(幸村)戦死跡之碑真田信繁(幸村)の銅像表から見ると、...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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