大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [真田丸 ] 記事一覧

一言坂の戦い~挑燈野の戦い

一言坂の戦いは、元亀3年(1572年)10月13日に遠江国二俣城をめぐり、武田信玄と徳川家康の間で行われた戦いです。信玄の西上作戦の過程で行われた戦いであり、二俣城の戦い(三方原の戦い)の前哨戦ともいえます。元亀3年(1572年)、武田信玄は信長包囲網に応える形で西上作戦を発動する。信玄は軍を3つに分け、山県昌景率いる5,000の兵を三河へ、秋山虎繁(信友)率いる伊那衆を美濃へと先行させる。そして10月10日には、自ら率...

豊臣秀吉ゆかりの目刺橋

鎌研池から「目刺橋」へ。松下屋敷に奉公していた頃の若き日の藤吉郎(後の豊臣秀吉)が、メダカの眼をめがけ、松葉を投げて手裏剣の練習をしていたことから、片目のメダカが現れるようになったいう伝説があります。目刺通り目刺橋にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お願いしますm(__)m歴女日記 ブログランキングへ...

秀吉ゆかりの鎌研池

松下屋敷跡北方の天白神社には、豊臣秀吉ゆかりの「鎌研池」(かまとぎいけ)も残っています。天白神社鎌研ぎ池豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と言った少年の頃、この地を訪れ頭陀寺城主の松下嘉兵衛之綱に身をよせて、天文22年3(1533)より永禄元年4月(1558)の間、下僕として奉公した。この時馬草を刈るのに池のはたで鎌を研ぎ試し切りのために池に生えた葦の片方へ出ている葉のみを切ったので、それから片葉の葦が生えるようになっ...

清凉寺の豊臣秀頼の首塚

嵯峨野の清凉寺は、嵯峨釈迦堂の名で知られる浄土宗の寺院です。嵯峨天皇の皇子・源融(みなもとのとおる)の別荘・栖霞観(せいかかん)の跡に開かれた棲霞寺にお堂を建立し、釈迦如来を安置したと伝えられています。栖霞観跡本堂(釈迦堂)は、慶長7年(1602年)に豊臣秀頼によって寄進・造営されましたが、嵯峨の大火が類焼し、本堂以下の伽藍は被災。元禄13年(1700年)より、本尊の江戸に始まる各地への出開帳が始まり、また...

向源寺(上田)

真田家とは関係ありませんが、上田で訪ねたお寺のひとつです。矢出沢川に架かる向源寺橋の向こうに山門が見えます。向源寺は浄土真宗のお寺で、1520年、浄空が開基となり上田原に創建したのが始まりと伝えられています。寛永3年(1626年)に、現在の場所に移りました。永禄9年(1566年)には、武田信玄が、このお寺に陣をとることを禁じる朱印状を出しており、その朱印状は上田市の指定文化財に指定されています。文政元年(1818年)には...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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