Category [本多忠朝 ] 記事一覧
大坂夏の陣 一心寺(2)本多忠朝の墓
境内には大坂夏の陣で最後の決戦となった慶長20年(1615)5月7日に討死にした本多忠朝の墓があります。忠朝は、本多忠勝の次男で、関ヶ原の戦いで戦功を挙げ、慶長19年(1614年)、大坂冬の陣でも活躍しましたが、酒を飲んでいたために不覚をとり、敵の猛攻に遭って敗退しました。それを家康に咎められた忠朝は、翌20年(1615年)の大坂夏の陣のとき、汚名を返上しようと天王寺・岡山の戦いで先鋒を務め、毛利勝永軍に正面から突入し...
大坂冬の陣 本多忠朝が物見をした白山神社のイチョウの木
大阪市城東区の白山神社の創建年月は不詳ですが、明治5年までは、白山権現と称し、応永(1394年)の頃から中浜・鴫野・森の諸村の氏神でした。 天正4年(1576年)織田信長が石山本願寺を攻撃した時、社殿を焼失しましたが、慶長8年(1603年) 豊臣秀頼により再建されました。 拝殿の見事な彫刻 同19年、大阪冬の陣による兵火で再び焼失し、元和3年(1617年)大坂城代内藤紀伊守により再建されました。 歯痛治癒に霊効があることで...
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