Category [井伊直政 ] 記事一覧
彦根・井伊直政の正室・東梅院ゆかりの宗安寺
彦根城跡から夢京橋キャッスルロードに出ると、通りの真ん中に浄土宗の宗安寺があります。井伊直政の正室・東梅院の父母の菩提を弔うため上野国箕輪に建立された安国寺を前身とします。井伊直政が高崎城主となると安国寺は移転。1601年佐和山入城に伴い、佐和山城下へ移され、宗安寺と改名。1603年、彦根城築城の際、現在の地へ移転されました。赤門は、石田三成の佐和山城の表門を移築したものと伝えられています。現在の本堂は、...
彦根港から多景島へ(1)
彦根滞在の最終日、琵琶湖に浮かぶ島の一つである多景島へ行って来ました。彦根駅から彦根港へのシャトルバスが出ています。彦根港よりオーミマリンの多景島行き連絡船で約20分。今回乗船したのは、井伊直政ゆかりの直政号です。待合室にあるミニチュア 『井伊の赤備え』をイメージした赤色をベースに船体底部は黒色で塗装しています。船体には、○印の中に橘を描いた井伊家の家紋である『彦根橘』や旗印として使われていた『井桁...
井伊直政ゆかりの彦根・瘡守稲荷神社
彦根市馬場1丁目に鎮座する瘡守稲荷神社(かさもりいなりじんじゃ)は、もとは常陸の国の笠間稲荷社(茨城県笠間市)を、井伊直政が上野国箕輪に勧請し、直政が佐和山に移ったときに、城の鎮守稲荷として祀ったと伝わります。当初は、彦根城内にあったため、庶民は参詣できなかったそうです。(国宝・彦根城築城410年祭HPより)尚、瘡守稲荷神社という名の神社は、全国各地にあるそうです。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参...
彦根・清涼寺
滋賀の清凉寺は、佐和山の麓にある曹洞宗の寺院です。山門佐和山城の城門を移築したものです。 1602年、井伊直政の死去に伴い、井伊直孝が墓所として創建しました。後に第15代藩主となった井伊直弼は、父の影響で、幼少期から仏道に関心をもち始め、清凉寺で13歳ごろから禅の修養を始めたたといいます。参禅道場には、直弼が使っていた座禅を組むための椅子が遺されています。17歳からは当時の住まいであった埋木舎に座禅の間を設...
最新コメント