大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [今川義元 ] 記事一覧

今川義元の胴塚(大聖寺)

牛久保駅から徒歩で10分ほどのところに大聖寺というお寺があります。この大聖寺の境内に、石柵に囲まれた今川義元の胴塚があります。今川義元は永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで、織田信長の奇襲を受けて敗死しました。家臣達が首のない義元の遺体を背負って駿河へ帰る途中、ひとまずこの地に葬り、手水鉢を置いて墓じるしとしました。嫡子の今川氏真は、父の三周忌を大聖寺で営み、位牌所として寺領の支配、諸役免除を認めた安堵...

桶狭間の戦い(9)桶狭間神明社

桶狭間神明にある桶狭間神明社は、正式名を神明社といいます。桶狭間村は、14世紀の中ごろ南朝の落武者が山間に逃れ、隠れ住んだのが始まりとされ、村人たちによって祀られたのがこの神明社です。現在の社殿は、昭和10年(1935)に改築されたもので、境内には、13の末社が祀られています。桶狭間の戦いの際、今川方の瀬名氏俊が戦勝を祈願したといわれ、このとき奉献した神酒の酒桶とされるものが宝物として残されています。また、...

桶狭間の戦い(8)戦評の松

長福寺から西に歩いて行くと、桶狭間の大池の前に「桶狭間寺前」のバス停があります。そのバス停のちょうど後方に戦評の松と呼ばれる史跡があります。今川義元の本陣の設営を終えた瀬名氏俊隊がここの松の根元で、軍議を開いたといわれています。初代の松は、樹齢400年を過ぎた立派な松だったそうですが、昭和34年(1959)の伊勢湾台風で枯れてしまい、今の松は3代目に当たるそうです。今の刈谷に住む漁師が、旧暦5月19日の未明...

桶狭間の戦い(7)長福寺

緑区の長福寺は、桶狭間の戦いにおいて敗死した今川義元の供養寺として知られています。天文7年(1538)に、善空南立和尚の創建とされています。桶狭間の戦いの際には、当地に到着した今川勢に酒食を提供し、労をねぎらったという逸話があります。桶狭間の戦いの後、今川義元の茶坊主であった林阿弥が、織田方に捕えられ、境内の大杉の下で義元はじめ今川方武将の首実検を命ぜられたといいます。大杉は供養杉として長らく境内にあ...

桶狭間の戦い(6)瀬名陣所跡

瀬名陣所跡は、名古屋市緑区桶狭間(旧有松町大字桶狭間字寺前)にある史跡です。永禄3年5月17日、今川義元の家臣・瀬名氏俊隊約200名が、先発隊として着陣したところで、村木(東浦)、追分(大府)、大高、鳴海方面の監視と大将今川義元が19日昼食する時の本陣を設営しました。当時は、トチ木林でしたが、その後竹林になり、里人は瀬名氏俊を偲び、「セナ薮」、「センノ薮」と呼んでいました。昭和61年(1986)池の堤防工事によりセ...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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