大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [井伊直親 ] 記事一覧

渋川井伊家墓所

井伊氏一族の居館跡で、北側にある墓石群には、渋川井伊家墓所として、井伊(直之・直貞・直秀・直幸・直親 他)の名前が残っています。渋川村には、山里に居城を構えた井伊庶家、渋川井伊氏がありました。井伊谷井伊家八代目泰直の子の直助が上野左衛門次郎を名乗って分家し、直助の子の直貞が渋川太郎二郎を名乗り、この地に移り住んだことが、始まりといわれています。一方、徳川家康の家臣として出世し彦根藩主を務め、幕末に...

東光院の井伊直親の墓

浜松市北区引佐町渋川にある東光院東光院は、井伊直虎の許嫁であった亀之丞(後の井伊直親)が一時、身を寄せた寺院です。臨済宗方廣寺派に属します。天文13(1544)年、亀之丞の父である井伊直満とその弟の井伊直義が謀反の疑いをかけられ、今川義元によって駿府で殺害されました。事件の後、直満の息子である亀之丞の命も狙われたため、家臣の今村藤七郎に背負われて領内の黒田山中からこの寺に逃げ込んでかくまわれますが、追っ...

井伊直親の墓

永禄5年(1562)、家老の小野但馬守が、「井伊直親が松平元康(のちの徳川家康)と内通して謀反を起こそうとしていると、今川氏真に讒言をしたため、直親は、弁明に駿河へ向かう道中、掛川城主・朝比奈備中守によって謀殺されました。享年27。直親の首は、南谿和尚が蜂前神社の宮司を使いに出して掛川城からもたい受け、首と体を一緒にして、棺に入れ、都田川の河畔で火葬にされました。直親の墓は都田川と堤防の中間になった平場に...

井伊直親ゆかりの池辺神社の八幡宮

掛川の十九首塚から池辺神社へ。この池辺神社の北には二つ池と呼ばれる池があり、現在でも池面に突き出した半島部に八幡宮を祀る社が鎮座しています。八幡宮由来十九首宇佐八幡宮と称し元は掛川市十九首の地にあった。井伊谷の領主井伊直親(幼名亀之丞)が今川家に謀反を疑われ、永禄5年(1563年)その釈明に駿府に向かう途中掛川領主朝比奈泰朝に主従19人が謀殺された。よってこの地に祀り八幡宮を建てたと大池のほとりにあった旧...

井伊直親が討たれた掛川の十九首塚

桶狭間の戦いで、敗北した今川家の勢力が弱体化すると、今まで今川家に臣従してきた松平元康(徳川家康)が独立。織田家と同盟を結び、今川家との対決姿勢を見せ、今川家に反旗を翻す在地領主も出てきました。1562年(永禄5)井伊家の当主となった井伊直親は、遠江を手中にしょうとしていた三河の元康から、今川を見限り徳川に付くよう誘いを受けたとされています。直親が家康と通じているという嫌疑を、小野但馬守が今川氏真に伝えた...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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