Category [井伊直親 ] 記事一覧
松岡氏の治めた松岡城
前回の紀行で松岡城跡が紹介されたので、再アップ致します!下市田の中央にある段丘上に位置する松岡城は、松岡氏一族の築城と伝えられ、主郭・二の郭~五の郭からなる連郭式の城です。築城時期は定かではありませんが、南北朝の戦乱の頃ともいわれ、その後戦国時代に大きな修築が加えられたと考えられています。500年間にわたって、松岡氏の本拠地となりましたが、1588(天正16)年、同氏の改易により、廃城となりました。現在、...
井伊直親の娘・高瀬姫(2)彦根の長純寺の高瀬姫の墓
高瀬姫は、徳川家康の命令で、異母弟・井伊直政の家臣になった川手良則(かわて よしのり)と結婚します。さて、この川手良則というお方。関ヶ原の戦いの時は、直政の代わりに直政の居城・高崎城を守り、彦根藩では4000石の家老となりました。しかし、養子の川手良列が、大坂夏の陣の若江の戦いで討死。大老・井伊直弼は藩祖・直政の姉の家系が良列の息子の代で断絶していてしまったことを惜しんで、甥に川手家を再興させたといい...
井伊直親の娘・高瀬姫
松源寺は、井伊直虎の許婚である亀之丞(井伊直親)が今川氏から命を狙われ、松岡氏の庇護のもと匿われた寺です。松源寺が創立されたのは、永正8年~10年頃(1511~1513)とされ、開基は松岡城主・松岡貞正、開山は貞正の実弟・文叔瑞郁禅師。当時の寺は、牛牧村の寺山に建てられました。その後、消失、移転、再建を繰り返し、現在の本堂は明治33年(1900)に再建されたものです。山門は、江戸時代中ごろ大風で倒壊しましたが、残っ...
亀之丞(井伊直親)ゆかりの地と桜守の旅(9)愛宕稲荷神社のエドヒガンザクラ
飯田市の愛宕稲荷神社は、文治年間、飯坂城主・坂西(ばんざい)由政が崇敬する伏見稲荷大神を勧請し、知久町の南端に奉祀したので、古来「由政稲荷」と称えられたのが始まり。文禄年間、飯田城主・京極高知が城下を整備する際、飯坂城跡で当時愛宕山地蔵寺の境内であった当地へ奉遷。愛宕稲荷神社と称するようになりました。鎌倉時代の仁治年間に清秀法印が境内に植えた清秀桜は、エドヒガンザクラで、樹齢は推定750年以上、飯田...
亀之丞(井伊直親)ゆかりの地と桜守の旅(8)桜丸御殿址に咲く夫婦桜
現在の県飯田合同庁舎東側の地には、飯田城本丸御殿の別棟として桜丸御殿が建てられていました。庭園には藩主・脇坂氏時代(1615~1672年)多くの桜が植栽され、御殿名の呼称となりました。桜丸御殿址に咲く巨木は、高さ約20m、幹周り約10m、推定樹齢400年の古木で、一見、1本の樹に見えますが、実はエドヒガンザクラとシダレザクラの2本の桜・夫婦桜が寄り添うように咲いています。 参勤交代の殿様夫婦が1年の別れを惜しんで愛でた...
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