Category [奥山朝利 ] 記事一覧
奥山方広寺(4)羅漢の庭
方広寺の境内には五百羅漢像が点在しています。釈迦入滅後、教典編纂の第一結集(けつじゅう)、第四結集に500名の仏弟子達が集まったことに由来します。方広寺には、次のような記録が残っているそうです。「寺門に入るに先立つて白崖峰と言はれる巨岩上に一群の羅漢が安置され、全境内の樹下石上に姿態自由な立像坐像臥像が苔衣を着て或は禪思し、或は流水を俯瞰し或は行雲を仰視して居る。是は寶歷年中 拙巌和尚が圓覺經を提唱...
奥山氏居館跡と奥山城跡
浜松市北区引佐町に鎮座する奥山神社の向かい側に、奥山氏の居城であった奥山氏居館跡があります。奥山神社奥山氏は、井伊家の分家で、8代頃から分かれ、引佐の奥山郷を領地にした奥山朝清を称したことに始まり、方広寺の南西約2kmの中村地区の高台が居館跡となっています。井伊家の分家である奥山氏の居館跡がこの地に想定されています。奥山氏は分家とはいうものの、嫡流家に匹敵する力を持っていました。南北朝時代の当主奥山六...
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