Category [瀬戸方久 ] 記事一覧
奥山方広寺の春
奥山方広寺は、奥山にある臨済宗方広寺派の大本山で、山号は深奥山(じんのうざん)、別称「奥山半僧坊」本尊は釈迦如来。1371年(建徳2年)奥山朝藤の開基により、後醍醐天皇の皇子・無文元選を開山として創建されました。1587年(天正15年)後陽成天皇の勅願所となり、江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられています。60ヘクタールの広大な敷地に多数の歴史的な伽藍があります。この日は、参道脇の駐車場から自然歩道を歩い...
全得寺 新田喜斉の墓
気賀の全得寺は、山号を知足山といい、臨済宗方広寺派のお寺です。この急な参道を上っていきます。本堂本堂の脇にある羅漢像知足院は、堀川城主であった新田喜斉を祀った寺でしたが、大正12年に全得寺に合併されました。 本尊の地蔵菩薩は、喜斎の持仏といわれ、全得寺に祀られているそうです。全 得 寺 山号は知足山、宗派は臨済宗方広寺派。 隣接する鎮守、諏訪神社の棟札から天文二十一年(一五五二)の頃には全得寺の存在...
二俣城跡
瀬戸方久は、天文15年(1546年)遠江国引佐郡祝田村に住み、永禄元年(1568年)気賀村に移り、呉石郷の御所平という所に住んだといいます。実際は同郡瀬戸村を与えられた郷士で、一帯の領主・井伊氏の庇護を受けて豪商に成長したと見られています。永禄9年(1566年)今川氏真が井伊谷や瀬戸といった地域に徳政令を発布するも、井伊谷の井伊氏はそれに抵抗し、徳政令を実施しなかったという事件が起こり、徳政令は永禄11年(1568年...
奥山方広寺(1)瀬戸方久が寄進した三重塔
奥山方広寺は、奥山にある臨済宗方広寺派の大本山で、山号は深奥山(じんのうざん)、別称「奥山半僧坊」本尊は釈迦如来。1371年(建徳2年)奥山朝藤の開基により、後醍醐天皇の皇子・無文元選を開山として創建されました。1587年(天正15年)後陽成天皇の勅願所となり、江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられています。60ヘクタールの広大な敷地に多数の歴史的な伽藍があります。この日は、三重塔の横にある本堂最寄りの駐車...
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