大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [瀬戸方久 ] 記事一覧

奥山方広寺(1)瀬戸方久が寄進した三重塔

奥山方広寺は、奥山にある臨済宗方広寺派の大本山で、山号は深奥山(じんのうざん)、別称「奥山半僧坊」本尊は釈迦如来。1371年(建徳2年)奥山朝藤の開基により、後醍醐天皇の皇子・無文元選を開山として創建されました。1587年(天正15年)後陽成天皇の勅願所となり、江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられています。60ヘクタールの広大な敷地に多数の歴史的な伽藍があります。この日は、三重塔の横にある本堂最寄りの駐車...

蓮光寺 長宗我部盛親の墓

六条河原にほど近い下京区の蓮光寺には、駒止地蔵と呼ばれる地蔵尊が安置されています。ある時、平清盛が馬に乗って六条河原に辺りに来たところ、急に馬がとどまって進もうとしなくなりました。不審に思った清盛が、土の中を掘ったところ、地蔵尊が出てきました。そのことから駒止地蔵と呼ばれるようになりました。この駒止地蔵は、もとは六条河原の刑場に祀られていたと伝えられ、別名「首斬地蔵」とも呼ばれています。六条河原は...

明石全登ゆかりの岡山城

岡山城は、大坂五人衆の一人、明石全登ゆかりの城です。戦国時代、宇喜多秀家に仕えていた全登は、家老として、岡山城で政務を取り仕切っていました。全登は、関ヶ原の戦いで、斬り死にしようとした主君・秀家を諫めて大坂城へ退くように進言し、殿軍を務めました。戦後、岡山城に退くますが、城はすでに荒らされていて、秀家とも連絡が取れずにそのまま出奔。宇喜多氏が没落し浪人となった全登は、キリシタン大名であり、母が明石...

大坂夏の陣 若江の戦い(2)「木村重成と山口左馬介の墓」

八尾市幸町の木村公園に、木村重成の墓があります。 もとはここから東50m地点にあったのですが、 昭和42年第2寝屋川の開削工事により、その川筋にあったのでここに移されたそうです。 この墓は、宝暦14年(1764)の重成の150回忌にあたって、重成の首を落とした安藤長三郎の子孫で、彦根藩士・安藤次輝が建てたもので、昭和14年、大阪府の史跡として指定されました。 重成の墓石には「長門守木村重成之墓」と刻まれています。 この...

大坂夏の陣 若江の戦い(1) 木村重成の菩提寺「蓮城寺」と重成の像」

東大阪市の蓮城寺は、豊臣方武将・木村重成の菩提寺で、若江の戦いの際、重成はこの辺りに布陣しました。 母の宮内卿局(一説には右京大夫局とも)は豊臣秀頼の乳母となり、重成は幼少から秀頼の小姓として仕えたといわれています。 慶長19年 (1614) 大坂冬の陣には玉造口を守備し奮戦。 元和1 年(1615) の大坂夏の陣で、長宗我部盛親らと出撃し、八尾・若江で井伊直孝、藤堂高虎と戦って戦死しました。 境内には重成の位牌堂があ...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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