Category [後藤又兵衛 ] 記事一覧
大坂冬の陣 今福・蒲生の戦い跡
大阪市城東区今福に鎮座する三郷橋稲荷神社この辺りは、大坂冬の陣で、後藤又兵衛(基次)、木村重成、が、佐竹義宣、上杉景勝と戦った激戦地でした。神社の前に、「大坂冬の陣古戦場 今福・蒲生の戦い跡」の碑が新しく建てられたようです。側面には、木村重成・後藤基次奮戦の跡地と書かれています。慶長19年(1614年)、大坂城攻撃のため、現在の天王寺、茶白山に本陣を置いた徳川家康の命により、今福・蒲生は秋田城主佐...
大坂夏の陣 道明寺の戦い(2)玉手山の後藤又兵衛基次之碑
大坂冬の陣で、いったんは講和が成立したものの、家康はさらなる要求を突きつけていました。大坂城内にいる浪人衆の解散か秀頼が大坂城を出て、他の城に移るか。これを豊臣方が拒否すると、講和成立からまだ半年も経たない1615年(元和元)年、家康は再び大坂城を攻めてきました。以下戦いの詳細です。豊臣方は、大坂城が大坂冬の陣ののち堀をすべて埋められてしまったため、夏の陣では城を出て戦わざるをえない状況になっていた。...
大阪夏の陣 道明寺の戦い(1)道明寺合戦記念碑~道明寺天満宮~道明寺
2014年11月、道明寺駅前に建立された道明寺合戦記念碑道明寺合戦は、真田信繁(幸村)軍と伊達政宗軍が激突。片倉小十郎、後藤又兵衛、薄田隼人が激突しました。当時の道明寺は、現在の道明寺天満宮の階段下南側にあり、この辺りに西軍が陣を布き、真田信繁は、後藤又兵衛、毛利勝永と打倒徳川の誓いの盃を交わしたと伝えられ、道明寺の戦いの舞台になったといいます。道明寺天満宮道明寺天満宮は、土師氏の氏神として創建され、の...
大阪夏の陣(1)後藤又兵衛と道明寺の戦い
大阪冬の陣で、いったんは講和が成立したものの、徳川家康はさらなる要求を突きつけていました。大阪城内にいる浪人衆の解散か秀頼が大阪城を出て、他の城に移るか。これを豊臣方が拒否すると、講和成立からまだ半年も経たない1615年(元和元)年、家康は再び大阪城を攻めてきました。以下戦いの詳細です。豊臣方は、大坂城が大坂冬の陣ののち堀をすべて埋められてしまったため、夏の陣では城を出て戦わざるをえない状況になってい...
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