Category [山村修理 ] 記事一覧
山村修理の墓と堀川城戦死の碑
山村修理の墓は、姫街道の標識から細い山道に入ったところにあります。山道を上り始めて数分、右手に見えてくるのが「堀川城戦死之碑」です。この奥に山村修理の墓があります。徳川家康の遠州侵攻の際、堀川城を築いて抵抗した山村修理はここで切腹して果てたとされています。村人がその霊を慰めるために松を植え、「修理殿の松」と呼ばれていましたが、枯れてしまったそうです。戦国時代末期、気賀、中川は今川氏と徳川氏の勢力の...
山村修理と十頭八幡宮
舘山寺は、当時は堀江城の城主 大沢氏が治める「堀江」と呼ばれる領地でした。実際に堀江城に井伊直虎が訪れたこともあったと伝えられています。堀川城の戦いで、堀川城が落城。山村修理は西気賀で切腹。尾藤主膳は、落城の様子を伝えるため、家臣10名と堀江城に向かい、城内に隠れましたが、大沢基胤が、徳川方と和睦することになったため、家臣とともに切腹し、十頭八幡宮として祀られました。浜名湖舘山寺美術博物館は、守備隊...
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