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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [西郷隆盛(西郷どん) ] 記事一覧

高知の山内容堂・西郷南洲会見の地

高知市鷹匠町のホテル三翠園がある場所には、かつて山内容堂の別邸下屋敷がありました。戦後、会見場所の屋敷は売却され、現在は大部分が三翠園の敷地になっています。三翠園の庭園に山内容堂・西郷南州会見の地の碑があります。慶応3年(1867)年2月、西郷隆盛は、薩摩藩主・島津久光の命を受け、四候会議への参加を促すために来高し、この日本庭園内で容堂と会見しました。慶応三年 ( 西暦一八六七年 ) 二月十七日薩摩島津公の命に...

鹿児島の旅(54)私学校跡・西南戦争の銃弾跡

鹿児島市城山町(現・鹿児島医療センター)の私学校跡。明治6(1873)年10月、征韓論に破れ、下野して鹿児島に帰って来た西郷隆盛は、鹿児島の士族たちのため、桐野利秋、篠原国幹、大山県令などと共に拠出金でこの地に私学校を創設しました。 鹿児島城の旧厩跡に建てられた私学校は、銃隊学校と砲術学校からなり、篠原国幹、村田新八が指導にあたりました。本校の他に市内各方限や地方にも分校が設けられ、明治9年(1876)末頃は県内...

鹿児島の旅(53) 西郷武屋敷跡

明治6年(1873)西郷隆盛が、征韓論に破れて鹿児島に帰り、明治10年(1877)の西南戦争までの4年間、武屋敷で過ごしました。この屋敷は明治2年(1869)薩摩藩の上級武士から譲り受けたもので、敷地約3600㎡、高縁の御殿づくりで部屋数も多く、庭には大きな松の木もあったといいます。西南戦争で焼失しましたが、明治13年(1880)西郷の弟の従道が再建しました。西郷隆盛と庄内藩(山形県)の有力な家老であった菅実秀(臥牛)が対話してい...

鹿児島の旅(47)黎明館「大河ドラマと黎明館資料」

私が訪ねた4月には、黎明館で「大河ドラマと黎明館資料」という企画展が催されていました。大久保利通に宛てた西郷隆盛の書簡勝海舟と会見した西郷が、勝の人物評価を伝えた書簡です。西郷は勝を高く評価し、「実に驚き入り候人物」で「ひどくほれ申し候」と述べています。テーマ展示より<近世の鹿児島>出水麓の武家屋敷の模型ミニチュアの武士が整列しているのがわかりますか?<近・現代のかごしま>賑わいを見せ始めたかつて...

鹿児島の旅(44)西郷・大久保の座禅石

鹿児島護国神社から坂道を約200mほど城山団地方面にのぼって行くと、坂の途中にこの看板があります。ここを曲がると、座禅石公園という小さな公園があります。この公園には、若き日の西郷隆盛、大久保利通はじめ精忠組のメンバーが、座禅を組んで修行したという西郷・大久保の座禅石があります。石は現在の国道3号線沿いの誓光寺の庭にあったもので、西郷、大久保をはじめ、当時の若き志士たちが誓光寺の住職であった円了無参の教...

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Author:しずか
毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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