Category [小松帯刀(西郷どん) ] 記事一覧
鹿児島の旅(34)小松帯刀像
鹿児島市山下町に、徳川慶喜に大政奉還を勧告、王政復古を実現させた小松帯刀の像です。西郷隆盛銅像からほどい宝山ホールの前にあります。幕末の薩摩(鹿児島)藩士,維新政府の官僚。喜入領主肝付兼善の3男に生まれ小松清猷の養子となる。文久1(1861)年島津久光の人材登用により側役,翌2年久光の率兵上洛に随従し,帰藩後家老。元治1(1864)年7月京にあって禁門の変に参加。以来,西郷隆盛,大久保利通と共に実質的に藩政を指導,京と鹿...
薩長同盟が締結された御花畑御屋敷跡
薩長同盟が締結された邸宅「御花畑屋敷」は京のどこにあったのかという謎の解明に取り組んでいた元小学校教員で歴史研究家の原田良子氏が、明治初期の行政文書などから、近衛家別邸があった現在の上京区森之木町だと突き止め、2017年3月、鞍馬口のカフェ「フランジパニ」の一角に「御花畑御屋敷跡」の碑が立てられました。薩長同盟はかつて、二本松薩摩藩邸(現同志社大今出川校地内、上京区)で締結されたと考えられていました。...
薩長同盟が締結された御花畑御屋敷跡
薩長同盟が締結された邸宅「御花畑屋敷」は京のどこにあったのかという謎の解明に取り組んでいた元小学校教員で歴史研究家の原田良子さんが、明治初期の行政文書などから、近衛家別邸があった現在の上京区森之木町だと突き止め、2017年3月、鞍馬口のカフェ「フランジパニ」の一角に「御花畑御屋敷跡」の碑が立てられました。薩長同盟はかつて、二本松薩摩藩邸(現同志社大今出川校地内、上京区)で締結されたと考えられていました...
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