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大河ドラマに恋して

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」「青天を衝け」「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」「八重の桜」「平清盛」「江」の史跡巡りと歴旅紀行

Category [井伊直弼(西郷どん) ] 記事一覧

多賀大社(2)文庫~つり鐘

文庫桜田門外の変の後、彦根藩は勤王の旗印を刻印を明らかにしました。この文庫は、江戸時代に多賀大社の神職などを務めた車戸(くるまど)家の文庫で、昭和7年の造営時に現在地に移築されました。幕末期の車戸宗功(そうこう)は勤皇の考えが強く、長州藩士ら勤王方と彦根藩老との仲介役を務め、徳川幕府家の井伊家の領内にある中で、長州の伊藤俊介(後の博文)らと、この文庫内で密会していたといいます。大釜寛永10年(1633)と...

坂下門外の変

坂下門外の変は、1862年(文久2)1月、水戸浪士らが江戸城坂下門外で、登城途中の老中・安藤信正を襲撃した事件です。1860年(万延1)3月、大老・井伊直弼が殺害されたのち、幕閣の中心に立った信正は、尊王攘夷派の幕政批判を緩和するために、首席老中久世広周(ひろちか)と共に公武合体政策を推し進めました。その政策として、同年10月、皇妹和宮の将軍・徳川家茂への降嫁の決定しましたが、尊王攘夷派志士らはこれに反発、安藤らに...

天寧寺 井伊直弼の供養塔

彦根駅の南に位置する天寧寺。彦根藩11代・井伊直中は、藩下屋敷の腰元・若竹が、不義の子を宿したとして、若竹に死を命じたのですが、後日、その父親が直中の長子・直清と判明しました。直中は、自分の過失を認め、母子の菩提を弔うために、1828年天寧寺を建立し、京都の名工・駒井朝運に木造五百羅漢像を彫らせました。 もともとは井伊直政の実母を祀る彦根城下の崇徳寺を移築したものといわれています。直弼好みの借景の石州流...

村山たか女(たか)の生まれた多賀町

近江鉄道多賀大社前駅から絵馬通りを進んでいくと、村山たかの生家と住居 があります。 多賀大社前駅絵馬通り村山たかの出自は諸説ありますが、父は多賀社尊勝院主、母は同社般若院住職の妹で、同社寺侍村山氏の養女となりました。現在の絵馬通り沿いの食事処「不二家」で生まれ、やまだ精肉店のところで、育てられたといわれています。やまだ精肉店には、「村山たか女の住処」と書かれた説明書きがあります。京都に出て芸妓となり...

彦根龍潭寺 井伊直弼の生母・彦根御前の墓と直弼の側室・里和の文塚

慶長5年(1600年)井伊直政は、徳川家康から佐和山18万石を拝領し、井伊家を彦根へと移しました。直政は生前、彦根にも龍潭寺を建立するよう言い残し、井伊谷・龍潭寺の五代目の住職となった昊天が遠江国から分寺し、彦根の龍潭寺を開山しました。龍潭寺の建立されている佐和山は、石田三成の居城・佐和山城があった地でもあることから、参道の入り口近くに石田三成の像があります。いつものように、石田様にご挨拶して、緑に囲まれ...

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毎年の大河ドラマに合わせて旅行、史跡めぐりをしています。

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