Category [島津斉彬 ] 記事一覧
鹿児島の旅(30) 薩英戦争の砲台跡 「祇園之洲砲台」
さらに石橋記念公園の奥に進んでいくと薩英戦争の砲台跡があります。ここは祇園之洲という稲荷川の河口に川浚いの土砂を集めてできた州で、で、砲台は祇園之洲砲台と呼ばれていました。文久3(1863)年の薩英戦争の際には6門の砲が配備されていました。世界の実力を知った薩英砲撃戦の遺跡祇園之洲という名称は、稲荷川河口のお祇園社(八坂神社)に由来します。五社のひとつとして歴代藩主の信仰が厚く、京都祇園社にならった祇園祭り...
鹿児島の旅(22)仙巌園・尚古集成館
仙巌園に隣接する尚古集成館は、島津家関連の資料のほか、集成館が操業していた頃の様子をわかりやすく紹介する歴史資料館です。島津斉彬は、西欧諸国のアジア進出に対し、軍事に加え、産業の育成を進め、富国強兵を真っ先に実践。それら事業の中心となったのが、工場群「集成館」です。もともと薩英戦争後の慶応元(1865)年に磯に建てられた機械工場で、現存する最古の洋風工場建築物です。当時ここで金属加工や、船舶、蒸気機関の...
鹿児島の旅(13)仙巌園・近代薩摩焼発祥の地
石垣と薩摩焼の窯跡幕末、この石垣のあるあたりは海岸線で、石垣の上に島津斉彬によって設けられた薩摩焼の窯などが立ち並んでおり、金爛手と呼ばれる華麗な絵付けを施した陶器のほか、反射炉に用いられた耐火レンガがつくられました。この通りは、仙巌園ブランドショップのお店などが立ち並んでいます。ここでしか手に入らない限定品もありますよ。近代薩摩焼発祥の地西欧諸国で、「SATSUMA」と呼ばれ珍重された近代薩摩焼は、こ...
鹿児島の旅(12)仙巌園 反射炉跡~松風軒
鹿児島滞在二日目にカゴシマシティービューで向かったのが、仙巌園。ここはお天気の良い日に行きたかったので、雨の降った初日は避けました。名勝だけあって外国人観光客で、バスは大混雑。鹿児島中央駅からバスで約50分で到着しました。1658年(万治元年)に第19代当主であった島津光久が構えた別邸で、その後も歴代当主による改築が重ねられてきました。借景技法を用い、桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てた1万5000坪の素晴ら...
鹿児島の旅(7)島津本宗家の菩提寺・福昌寺の島津斉彬の墓
福昌寺は、応永元年(1394年)、島津氏第7代当主島津元久が一族出身の僧・先に妙円寺 (日置市)を建てた石屋真梁を開山として招いて建立され、その後代々の島津氏当主の墓が建てられるようになり島津本宗家の菩提寺となりました。天文15(1546)年、忍室和尚の時には、後奈良天皇の勅願寺となり、同18(1549)年にキリスト教を伝えたザビエルが鹿児島滞在中、忍室和尚と宗教上の問答を行ったところでもあります。江戸時代の『三国名勝図...
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